伊勢街道巡り旅31.~伊賀上野城
歴史的背景
関ヶ原の戦いの際、定次が東軍として出陣中に、 西軍方の新庄氏らに攻められ、一時は城を奪われている。 のちに奪還するものの、防御面での弱点が露呈し、 後の大改修の伏線になった。
慶長13年(1608)、徳川家康は築城の名手・ 藤堂高虎を伊賀・伊勢へ国替えし、 伊賀上野城は大坂城包囲網の一角として再設計されることになった。 本丸を西へ拡張し、のちに日本一・ 二を争う高石垣が築かれた。
未完の名城
高虎は五層天守を計画したが、慶長17年(1612) の暴風で建設中の天守が倒壊。その後、 大坂の陣で徳川方が勝利し、豊臣家が滅亡したため、 天守は再建されず、築城工事も中断された。この経緯から「 未完の名城」と呼ばれている。
高虎は五層天守を計画したが、慶長17年(1612)
明治期に多くの建物が失われたが、昭和10年(1935)、 地元出身の政治家・川崎克が私財を投じて木造の模擬天守「 伊賀文化産業城」を建設。現在の天守はこの復興天守で、 伊賀上野のシンボルとして定着している。
城郭としての特徴(縄張・構造)
伊賀上野城は、 山に囲まれた伊賀盆地北側の丘に築かれた平山城で、 東側を除き川に囲まれた天然の要害。 盆地の地形と川を活かした「箱庭の要塞」的な立地が特徴といえよう。
この城の面白いところは、筒井定次の城は「大坂を守る」側の城、高虎の改修後は「 大坂と対峙する」城へとコンセプトが反転したことである。 本丸を西に張り出し、高石垣を西側にそそり立たせることで、「 大坂城に向き合う城」 というメッセージ性の強い構成になっている。
外郭と櫓群
高虎期には、二重櫓2棟・一重櫓8棟、長さ約21間(約40m) の巨大な渡櫓を備えた大手門など、 かなり重装備の外郭が整えられた。専門家の言うところ、現在は失われているが、 縄張図や説明板を見ながら歩くと、当時の「対豊臣の前線基地」 としての姿が想像しやすいという。
高さ約30mの本丸西面高石垣
伊賀上野城の象徴は、本丸西面にそびえる高さ約30mの日本屈指の高石垣である。高虎の高石垣は、直線的で垂直感の強い立ち上がりが特徴で、「 山城の斜面に沿った石垣」とはまったく違う“人工の壁” として迫ってくる。下から見上げると、 視界のほとんどが石で埋まるような圧迫感があり、「 大坂城に対抗するための威圧感」を身体で感じることができる。
伊賀上野城の高石垣は、打込み接ぎを主体としつつ、 隅部には算木積みが用いられた近世的な石垣である。 石の表面は荒削りで、光の当たり方によって陰影が強く出るので、 朝夕の斜光の時間帯に見ると立体感が際立つ。
五層天守が計画された天守台は、 現在は模擬天守が建っているが、「 本来ここにどんな天守が立つはずだったのか」 を想像しながら石垣のスケールを眺めると、 未完ゆえの余白がむしろ魅力に感じられる。
天守(模擬天守)と内部の見どころ
– 昭和の木造復興天守:
現在の天守は1935年に川崎克が建てた木造の模擬天守で、「 伊賀文化産業城」としてスタートした。 外観は白壁が映える端正な三層天守で、「白鳳城」 とも呼ばれるほど優美なシルエットだ。
館内には、武具・甲冑・ 古文書など藤堂家ゆかりの資料が展示されており、「 対豊臣の前線基地」 としての伊賀上野城の役割を具体的な史料から感じ取ることができる。
最上階の天井には、横山大観らによる色紙46点が飾られており、 城郭+近代日本画という異色の組み合わせが楽しめる。 天守からは伊賀盆地と城下町を一望でき、「盆地の縁に立つ城」 という立地がよくわかる。
文化的背景と周辺の文脈
伊賀といえば忍者のイメージが強く、 城の周辺には伊賀流忍者博物館などもある。城そのものは「 忍者の城」ではないが、天正伊賀の乱や、 山に囲まれた盆地という地形を意識すると、「 なぜこの地に忍者文化が育ったのか」 と城と地形の関係が見えてくる。
もともとこの地には平楽寺という大寺院があり、 天正伊賀の乱では伊賀方の拠点の一つだったが、戦乱で焼失。 その跡地に近世城郭が築かれたという流れは、「宗教空間→軍事・ 行政空間」への転換として見ると、 時代の変化が凝縮されていうように思える。
高虎の天守が暴風で倒壊し、その後再建されなかったことは、 一見「残念な歴史」であるが、 結果として高石垣だけが強く印象付けられ、「石垣の城」 としての個性が際立つことになった。 完成しなかったからこそ、 想像の余地が大きく残されている城とも言えるかもしれない。
歩き方と体感してほしいポイント
おすすめのざっくりルート:
1. 公園入口〜高石垣下部へ: まずは本丸西面の高石垣を、 できるだけ下から見上げてスケールを身体で受け止める。
2. 本丸・天守周辺: 模擬天守に入り、内部展示と最上階からの眺望で「盆地の城」 を俯瞰。
3. 縄張りを意識しながら一周: 本丸・二の丸・堀跡を歩き、 どの方向からの攻撃を想定していたかを想像する。
4. 城下町側へ降りる: 城下の町並みや忍者関連施設とセットで、「軍事・行政・文化」 が重なり合う伊賀上野を一つの都市として見る。
最期に、同日に高虎という同じ築城者が建てた松阪城と伊賀上野城を見たが、それぞれ全然違う表情が見えたような気がする。
松阪城では、現在の松坂市の基盤となった都市デザインがはるか昔に既にあったということ。
伊賀上野城では、対豊臣を意識した高石垣と未完性であったことが歴史の重みのようなものを感じた。


