ふるさとのシンボル 紀伊新宮城
熊野川流域の丘地に築かれている総石垣の城 「新宮城」。 源為義の娘で後に丹鶴姫と呼ばれた「立田腹 (原) 之尼」の住まいであったことから「丹鶴城」とも呼ばれています。 丘陵東部の最高所に本丸と天守台があり、
元和5年(1619年)にそれまで地域を治めていた浅野氏に代わり、 紀州藩主の初代徳川頼宣の付家老である水野氏が入城。 その後10代にわたり長い統治が続き、
平成15年(2003年に)「新宮城跡附水野家墓所」
写真:鐘ノ丸(二ノ丸) 南西側石垣(前地 翔)
ふるさとのシンボル 紀伊新宮城
熊野川流域の丘地に築かれている総石垣の城 「新宮城」。 源為義の娘で後に丹鶴姫と呼ばれた「立田腹 (原) 之尼」の住まいであったことから「丹鶴城」とも呼ばれています。 丘陵東部の最高所に本丸と天守台があり、
元和5年(1619年)にそれまで地域を治めていた浅野氏に代わり、 紀州藩主の初代徳川頼宣の付家老である水野氏が入城。 その後10代にわたり長い統治が続き、
平成15年(2003年に)「新宮城跡附水野家墓所」
写真:鐘ノ丸(二ノ丸) 南西側石垣(前地 翔)