松阪城は三重県松阪市にある戦国時代末期から江戸時代にかけての重要な城郭だった。
築城と蒲生氏郷
松阪城は1588年(天正16年) に蒲生氏郷によって築城された。氏郷は織田信長、 豊臣秀吉に仕えた戦国武将で、 伊勢国12万石の領主として松ヶ島城から居城を移すために新たに この城を築いた。築城に際して、 氏郷は故郷である近江国の松坂(現在の滋賀県大津市) にちなんで「松坂城」と命名した。
松阪城は1588年(天正16年)
城の特徴と構造
松阪城は標高約45メートルの丘陵地に築かれた平山城。 本丸、二の丸、三の丸、 隠居丸などから構成される梯郭式の縄張りを持ち、 特に石垣の美しさで知られている。蒲生氏郷が近江・ 日野で培った築城技術が活かされ、 野面積みの石垣が現在でも良好な状態で残されている。
松阪城は標高約45メートルの丘陵地に築かれた平山城。
歴代城主
蒲生氏郷の後、松阪城には以下のような大名が居住した:
服部一忠(1595-1600年)
古田重勝(1600-1635年)
その後は紀州藩の支配下に入り、城代が置かれた。
その後は紀州藩の支配下に入り、城代が置かれた。
商業都市としての発展
松阪城下町は氏郷の商業政策により大きく発展した。 氏郷は楽市楽座を設け、商人の保護育成に努めた。 特に伊勢商人の活動拠点として栄え、 江戸時代には全国に展開する豪商を多数輩出した。 松阪商人として知られる三井家、長谷川家、 小津家などがその代表例である。
松阪城下町は氏郷の商業政策により大きく発展した。
松阪牛
現在、松阪の名産として有名な松阪牛の歴史も、
文化的意義
松阪城は単なる軍事施設ではなく、文化の中心地でもあった。
明治維新後、建造物は解体されたが、
松阪城は戦国時代から近世にかけての政治、経済、
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松阪城は、 三重県松阪市に位置する戦国時代末期から江戸時代にかけての平山 城で、蒲生氏郷が築いた壮大な石垣で知られる名城です。
基本情報
所在地
三重県松阪市殿町
標高約35メートルの独立丘陵「四五百森(よいほのもり)」 に築城
市街地の中心部に位置
別名
鶴城(かくじょう)- 城の縄張りが鶴が翼を広げた形に似ることから
琴城(きんじょう)とも呼ばれる
築城の歴史的背景
蒲生氏郷による築城(1588年)
築城者:蒲生氏郷(がもう うじさと、1556-1595)
近江国(滋賀県)日野城主の出身
織田信長の娘婿として重用される
豊臣秀吉の下で数々の武功を挙げた名将
築城の経緯
1584年(天正12年)
小牧・長久手の戦いの後、豊臣秀吉の命により伊勢国に転封
当初は松ヶ島城(まつがしまじょう)に入城
松ヶ島城は伊勢湾に面した平城で、水害に悩まされた
1588年(天正16年)
より内陸の四五百森に新城の築城を開始
わずか3年程度で完成という驚異的な速さ
秀吉の天下統一事業の一環として、伊勢地方の統治拠点を整備
地名の変更
氏郷は同時に地名も変更しました:
「松ヶ島」→「松阪」に改称
これは氏郷の故郷である近江国の**「松坂(まつさか)」** に因んだもの
現在は「松阪」の表記が定着(阪の字は後に変更)
氏郷転封後の歴史
1590年(天正18年)
氏郷が会津若松(黒川)42万石に加増転封
わずか2年で松阪を離れる
1595年(文禄4年)
氏郷の子・蒲生秀行が一時的に松阪に戻る(12万石)
1598年(慶長3年)
古田重勝が5万石で入城
1600年(慶長5年)関ヶ原の戦い後
服部一忠が3万5千石で入城
1619年(元和5年)
徳川御三家の一つ、紀州徳川家の領地となる
以後は城代が置かれ、幕末まで紀州藩の支配下に
城郭の構造と特徴
石垣の特徴
松阪城最大の見どころは、その壮大な野面積み(のづらづみ) の石垣です:
野面積みの技法
自然石をほとんど加工せずに積み上げる
穴太衆の技術によるもの
蒲生氏郷は近江出身のため、 地元の穴太衆を連れてきた可能性が高い
石垣の高さは最大で約12メートル
石材
地元で産出する砂岩や花崗岩を使用
「四五百森」の丘陵自体を削って石材を調達
重量のある大きな石も多数使用
構造的特徴
算木積みによる堅固な隅角部
**反り(むくり)**を持つ美しい曲線
排水性に優れた構造
400年以上経過した現在でも、ほぼ完全な状態で残存
縄張り(城の設計)
三重の構造
本丸
最高所に位置
天守台があったが、天守は建てられなかった( または初期の簡素なもの)
御殿や倉庫群が配置
二の丸
本丸の北側に位置
藩主の御殿があった
三の丸(隠居丸)
外郭部分
家臣の屋敷などが配置
防御施設
複雑に折れ曲がった石垣(横矢掛かり)
枡形虎口(出入口)
石垣上には多聞櫓や櫓門が配置されていた
建造物
江戸時代の建造物
かつては多数の建造物がありました:
本丸:三層の月見櫓、太鼓櫓など
二の丸:藩主御殿
多聞櫓:20棟以上
櫓:10棟以上
城門:多数
現在
残念ながら建造物はすべて失われています:
1877年(明治10年) – 廃城後、建造物が次々と取り壊される
一部は民間に払い下げられ、移築された
現在は石垣のみが残る
移築現存建造物:
御城番屋敷の一部(後述)
松阪市内の寺社に城門などが移築
蒲生氏郷の功績
城下町の建設
氏郷は松阪城だけでなく、 近世城下町としての松阪の都市基盤を整備しました:
町割り(都市計画)
楽市楽座の実施
商工業者を保護育成
税を免除し、自由な商取引を奨励
商人の誘致
近江商人、伊勢商人を積極的に招く
後の「松阪商人」繁栄の基礎を築く
寺町の形成
城の東側に寺院を集中配置
防御施設としての機能も持たせる
産業振興
木綿の栽培と商業化を奨励
伊勢木綿の生産地として発展
松阪もめんの起源
文化人としての氏郷
氏郷は武将であると同時に、優れた文化人でもありました:
茶道
千利休の高弟「利休七哲」の一人
茶人としての号は「宗及」または「忠三斎」
松阪にも茶の湯文化を持ち込んだ
キリシタン
洗礼名は「レオン」
松阪にもキリスト教が伝わった
和歌・連歌
教養人として知られる
松阪の文化的発展
松阪商人の隆盛
江戸時代、松阪は日本有数の商業都市として繁栄しました:
江戸店持ち(えどだなもち)
松阪の商人が江戸に進出
呉服店を中心に大成功
「江戸店持ち松阪商人」として知られる
代表的な豪商
三井家
三井高利が江戸と京都に「越後屋」を開業
後の三井財閥の基礎
三井家発祥の地は松阪
小津家
江戸で紙商として成功
映画監督・小津安二郎の先祖
長谷川家
豪商として栄える
松阪商人の特徴
「始末(倹約)と「才覚(商才)」
リスク管理と長期的視点
本宅は松阪に置き、江戸には番頭を派遣
国学の発展
松阪は国学の一大中心地でもありました:
本居宣長(1730-1801)
江戸時代を代表する国学者
松阪の木綿問屋の家に生まれる
35年をかけて『古事記伝』を完成
日本の古典研究に革命的な影響
本居宣長記念館
松阪城跡に隣接して設置
宣長の旧宅「鈴屋」が移築保存
自筆稿本など多数の資料を展示
その他の文化人
契沖(1640-1701)- 国学者、仏教学者
多くの商人が文化的パトロンとなり、学問芸術を支援
御城番屋敷
松阪城に関連する重要な史跡として、御城番屋敷があります:
概要
松阪城の警護を担当した紀州藩士の武家屋敷
城の搦手(裏口)近くに位置
石畳の道の両側に長屋形式の武家屋敷が並ぶ
建築
**1863年(文久3年)**頃に建築
各戸が連なる組長屋形式
20戸が現存(西棟10戸、東棟10戸)
現在
国の重要文化財に指定
日本で唯一、 江戸時代の武家長屋が現役の住居として使用されている
一部が資料館として公開
美しい町並みが保存され、観光スポットとなっている
現在の松阪城跡
公園としての整備
1877年(明治10年) – 廃城
1889年(明治22年) – 松阪公園として整備開始
現在は「松阪城跡(松阪公園)」として市民に親しまれています
文化財指定
1953年(昭和28年) – 国の史跡に指定
2006年(平成18年) – 日本100名城(No.48)に選定
見どころ
1. 石垣
野面積みの壮大な石垣が良好に残存
本丸、二の丸、三の丸の石垣を見学可能
特に本丸の天守台からの眺望は絶景
2. 本居宣長記念館・鈴屋
宣長の旧宅と膨大な研究資料
国学研究の聖地
3. 歴史民俗資料館
松阪の歴史と文化を展示
城や武家文化に関する資料
4. 桜の名所
約300本の桜が植えられている
春には花見客で賑わう
5. 藤棚
樹齢300年以上とされる藤
4月下旬から5月上旬が見頃
周辺の見どころ
御城番屋敷(徒歩5分)
松阪商人の館(旧長谷川邸など)
松阪もめん手織りセンター
松阪城の文化的意義
1. 城郭建築史上の価値
戦国時代末期の城郭技術を示す好例
穴太衆による石垣技術の傑作
天守を持たないが、石垣の規模と質で威容を示す独特の様式
2. 都市形成史上の意義
近世城下町の原型を示す
蒲生氏郷による計画的な都市建設
商業都市としての発展基盤
3. 商業文化の中心
松阪商人を生み出した基盤
三井家など日本経済史上重要な商家の発祥地
江戸時代の商業ネットワークの拠点
4. 学問文化の拠点
国学発展の中心地
本居宣長という日本文化史上の巨人を輩出
商人の経済力が学問芸術を支えた
5. 地域アイデンティティの象徴
松阪市のシンボル
市民の憩いの場
「松阪」という都市名の起源
松阪の特産品と文化
松阪城下町として発展した松阪には、 独自の文化と特産品があります:
1. 松阪牛
世界的に有名なブランド牛
江戸時代には牛の飼育が行われていた
明治以降、食肉文化とともに発展
2. 松阪もめん
蒲生氏郷が奨励した木綿産業の伝統
藍染の縞模様が特徴
江戸時代には全国的なブランド
3. 松阪鶏焼肉
地元の食文化
鶏肉を味噌だれで焼く独特の料理
まとめ
松阪城は、以下の点で日本史上重要な意義を持ちます:
蒲生氏郷という戦国武将の優れた政治手腕の結晶
穴太衆の石垣技術の傑作が現存
近世商業都市の発展基盤を築いた
松阪商人という日本経済史の重要なプレイヤーを生み出した
本居宣長という国学の巨人を育んだ文化的土壌
現在、天守や櫓などの建造物は失われていますが、 壮大な石垣が当時の姿を今に伝えています。 松阪城跡は単なる城跡ではなく、日本の商業、学問、 文化の発展を物語る重要な歴史的空間なのです。
石垣の上に立てば、蒲生氏郷が夢見た城下町の繁栄、 松阪商人たちの活躍、本居宣長の学問への情熱など、 松阪の豊かな歴史が感じられる場所といえるでしょう。
