街道巡り旅で松坂に行くときは、松坂城に加えて三井家発祥の地は是非訪れたいと思っていた。かつて商社に勤めた者としてはやはり、あの三井財閥を築いた一族の初期の人たちの足跡は気になるところだからだ。

松阪は江戸時代に商業都市として発展し、多くの豪商が生まれた。松阪市には、江戸時代の伊勢商人の繁栄を今に伝える貴重な文化遺産として、三大豪商屋敷「旧三井家」、「旧長谷川家」、「旧小津清左衛門家」がある。

旧三井家(旧三井家発祥地)
三井家は、江戸時代に呉服商「越後屋」として木綿の取引などを通じて財を築いた。江戸の粋人に好まれた藍染の松坂縞の反物は当時人口100万人の都会・江戸で55万反も出荷されたという。

後に三井財閥を築いた三井グループの家祖である三井高利はここ松坂で生まれ育った。この場所は昭和31年(1956)に松阪市の史跡に指定され、門前には「三井家発祥地由来碑」が設置されている。但し、内部は非公開となっており、外観のみ見学可能。松阪市内には「松阪もめん手織りセンター(越後屋の店舗跡)」など、三井家の歴史を感じられる場所が点在している。

旧長谷川治郎兵衛家
江戸時代に木綿問屋として成功を収めた長谷川治郎兵衛は、松阪商人の代表的な存在の一人である。長谷川家は、
延宝3年1675)に創業し、江戸の大伝馬町に複数の店舗を構える木綿問屋として発展した。松阪木綿の取引を通じて財を築き、江戸の商業を支える重要な役割を果たした。

 

建物は国の重要文化財に指定されており、庭園は、三重県指定史跡および名勝として知られる。江戸中期の元禄時代に建てられた主屋を中心に、土蔵4棟、茶室3つを含む広大な屋敷構えとなっている。

見どころとしては、黒檀や紫檀を用いた精緻な細工、栃の一枚板の床の間、京都・鞍馬石を配した庭園、そして、出世の象徴でもある「うだつ」が上がる屋根装飾などと言われ、一般公開されている。

伊勢街道と長谷川家
長谷川家は、紀州藩勢州奉行所跡の土地を購入し、庭園や邸宅を整備した。また、伊勢参りの旅人に対して炊き出しを行い、おにぎりや茶、草鞋などを提供するなど、地域社会に貢献した。

旧小津清左衛門家(旧小津家住宅)
旧小津清左衛門家は、江戸で最大の紙問屋「小津商店」の本宅である。代々「清左衛門」を名乗った豪商であった
建物は、三重県指定有形文化財、土地は、松阪市指定史跡となっている。江戸中期(1700)前後に建てられた町屋造りの主屋、向座敷、料理場、内蔵、前蔵などが現存し見学できる。

広い屋敷内には2つの土蔵が残されており、当時の商人の暮らしぶりを感じることができる。展示品の中には「千両箱」ならぬ「万両箱」もあり、小津家の繁栄を物語っている。

見どころとして、質素な外観とは裏腹に屋敷内部は、対照的に広大な造りだ。なかで、最も興味をそそられたのは、万両箱。千両箱は、映画などでよく見ていたが、千両箱が10個はいる万両箱があるとはついぞ知らなかった。まさに豪商の財力を示すものだろう。過去、「松阪商人の館」として公開されていたが、現在は「旧小津清左衛門家」として運営されている。

これらの屋敷は、単なる建築物ではなく、伊勢商人の経済力及び彼らの美意識や知恵の結晶と言えるかもしれない。

本居宣長旧宅跡
すぐ近くに本居宣長旧宅跡があった。宣長が12歳から亡くなる72歳まで住居としていた家である。書斎の名を取って鈴屋と呼ばれるこの家は、元禄4年(1691)に宣長の祖父が、義母の隠居屋敷として職人町清光寺門前に建て、享保11年(1726)に魚町に移したもの。宣長の主な著作はここで書かれたと言われている。三重県内唯一の国の特別史跡に指定されている。

 

◇ふろく◇
松坂牛

松坂と言えば
「松坂牛」、明治11年創業の老舗「和田金」を思いうかべるが、江戸時代にはまだ牛肉を食する文化はなかった。江戸で牛肉を食べる習慣が広まるのを見て松阪の商人がそこに目をつけた。最初は農耕用の牛を育て、品種改良に努め、やがては全国でも有名なブランドにまで押し上げた。江戸を頻繁に行き来する中で、流行に敏感だった松阪商人だからこそできたことだろう。
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松坂牛について