韮山城とは
韮山城は、伊豆国(現在の静岡県伊豆の国市)に築かれた平山城で、別名を「龍城(たつじょう)」という。
築城時期は明確ではありませんが、北条早雲(伊勢宗瑞)が本格的に整備し、生涯の居城としたことで知られている。

2. 韮山城の歴史

■ 室町末期〜戦国初期:築城と北条早雲の本拠
– 築城の起源は文明年間(1469〜1486)頃とされ、堀越公方の家臣・外山豊前守が最初に築いたという説がある。
– 1491年、北条早雲が堀越公方・足利茶々丸を討ち、伊豆を平定。
– その後、韮山城を本拠として整備し、ここから後北条氏五代百年の歴史が始まる。
– 早雲は小田原城を奪取した後も韮山を離れず、1519年にこの城で没する。

■ 戦国中期:後北条氏の伊豆支配の中心
– 早雲の死後、後北条氏の本拠は小田原へ移るが、韮山城は伊豆支配の要衝として維持。
– 永禄末年には北条氏康の四男・北条氏規(うじのり)が城主となる。
– 武田信玄の駿河侵攻(1570)でも氏規が城を守り切った。

■ 1590年:豊臣秀吉の小田原征伐と籠城戦
– 天正18年(1590)、秀吉の大軍に包囲され、約3ヶ月の籠城戦を展開。
– 城兵3600余に対し、豊臣軍は4万4千ともいわれる圧倒的兵力。
– 氏規は勇敢に抗戦したが、周辺の諸城が次々と落ち、最終的に開城・降伏した。
– このとき豊臣軍が築いた付城(攻城側の陣地)が周辺に良好に残っている点は全国的にも貴重。

■ 江戸時代以降
– 北条氏滅亡後、徳川家康の家臣・内藤信成が入城。
– 1601年(慶長6年)に信成が駿府へ移封され、韮山城は廃城となる。
– 代官所の管理地となったため、城郭の改変が少なく、遺構が良好に残った。

3. 韮山城の構造と特徴
韮山城は、龍城山(標高約42〜50m)の尾根上に築かれた細長い平山城で、土の城としての特徴が色濃く残っている。

■ 主な曲輪配置
北から南へ、尾根に沿って以下の曲輪が直線的に並ぶ:
– 三ノ丸
– 権現曲輪(熊野神社が鎮座)
– 二ノ丸
– 本丸(最高地点)
– 伝塩蔵曲輪

■ 遺構の特徴
– 堀切・空堀・土塁が良好に残る
– 本丸と二ノ丸の間の堀切は特に見応えあり
– 石垣はほとんど用いられず、後北条氏らしい「土の城」構造
– 周辺には豊臣軍の付城跡群が多数残存(ただし多くは私有地で非公開)

4. 現在の見どころ

■ 本丸跡(龍城山山頂)
– 伊豆の国市街や富士山を望む絶景スポット。

■ 権現曲輪(熊野神社)
– 早雲が城の守護神として創建したと伝わる。

■ 堀切・土塁群
– 山城の防御構造を体感できる貴重な遺構。

■ 付城跡群
– 豊臣軍が築いた攻城陣地が周囲に点在し、戦国末期の攻防を物語る。

5. 韮山城の価値
– 北条早雲の本拠地として、戦国大名の黎明期を象徴
– 後北条氏の伊豆支配の中心として機能
– 秀吉の天下統一戦の最終局面を示す付城跡群が良好に残る全国的にも稀有な城跡
– これらの価値から、国の史跡「韮山城跡 附付城跡」に指定(令和7年)。

6. 訪れる際のポイント
– 本城(龍城山)は整備されており散策しやすい
– 高低差は比較的緩やかで初心者向けの山城
– 夏場はマムシ・イノシシ・スズメバチに注意(市も注意喚起)
– 晴れた日の富士山ビューは格別