津観音
– 正式名称:恵日山観音寺大宝院(えにちざん かんのんじ だいほういん)
– 宗派・本尊:真言宗醍醐派、聖観世音菩薩
– 創建:伝承によれば和銅2年(709)、奈良時代初期
– 所在地:三重県津市大門。
浅草観音(東京)、大須観音(名古屋)と並び、日本三観音の一つに数えられている。

意義
津観音は、伊勢神宮の祭神である天照大神の本地仏(生まれ変わり)
国府の阿弥陀(こうのあみだ)」が祀られていたことで知られている。江戸時代には、「阿弥陀に詣らねば片参宮」と言われるほど、伊勢参りをする人々が立ち寄る重要な場所として栄えた。

藤堂高虎が関ヶ原の戦い後、慶長13年(1608)に伊予今治から伊賀・伊勢へ転封され、津城に入府。津城の大改修は慶長16年(1611)に着手され、城下町の整備が進む中で津観音の門前町も都市計画の一環として発展し、商人や職人が集まる活気ある地域となった。伊勢街道も近くを通るように付け替えられたため、「伊勢は津で持つ、津は伊勢で持つ」と伊勢音頭で歌われるほど、津は伊勢国内で最大の都市へと発展した。

現在も本堂や護摩堂、五重塔などがあり、境内は市民の憩いの場となっている。津観音の周辺には、かつて三重県最大の繁華街が広がっており、デパートや映画館、商店街などがあった。伊勢参りの最後の宿場町としても知られ、歴史と風情を感じながら散策できるスポットである。津観音は単なる寺院ではなく、地域の歴史と文化を体現する存在と言えるだろう。

小津安二郎記念碑
津観音境内に、日本の映画の巨匠、小津安二郎(明治36年-昭和
38年)をたたえる記念碑があったので、あとで関りを調べてみた。小津の母、あさゑの実家は津の有力な商人で庄屋、医師の家系を持ち、少年時代の安二郎は津観音の周辺で遊び、映画を見たりしたという。碑文には、小津が市内にあった陸軍久居33連隊に短期入隊した際、津市東丸之内の母、あさゑの実家で遊んだ様子を昭和2年9月に旧友に宛てた手紙にあった「おいなされ 又このつぎに 彼岸草」という句を採用し、署名は自筆が使われている。

この句は、津市を走っていた軽便鉄道の線路脇に咲く彼岸花を伊勢弁の方言交じりに詠んだ句で、情景は昭和33年に公開された名作「彼岸花」にも影響を与えたらしい。

尚、小津は伊勢市の旧制宇治山田中(現在の県立宇治山田高)出身で、少年期に住んだ松阪市愛宕町の自宅跡に資料館「小津安二郎青春館」があり、作品脚本、写真などが展示されている。

年中行事:節分会式(2月)、七夕まつり(7月)、十日観音(8月9日)などの行事が開催され、多くの参拝者が訪れる。

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