館長のつぶやき~「佐藤春夫の少年時代」(32)

初恋の人、大前俊子との出会い(一) 
春夫にとって女性に興味を抱き始める思春期―「南国生まれのわたくしははなはだ早熟であった。そうして色情と詩情とはほとんど同時に知った。思うに、この二つは根本では全く同質のものではないだろうか。少なくともわたくしにあってはそう思われる。」(「青春放浪」・昭和37年4~5月読売新聞夕刊)と述べています。

これまでも引用してきた春夫の作品「追懐」(昭和31年3、4月「中央公論」)の、「その十 三人少女」は、女学校に通う2少女から、もうひとり、本命の少女の記述へと展開してゆきます。

「わたくしは女学生の多く通る町筋を逆行して進む事にした。するとその町では、わたくしの通学時間には、おほよそ六七町に及ぶこの町筋にはえび茶袴の女学生が絡繹(注・らくえき・人や車馬の往来が絶えないさま)として、或はひとり或は二人三人の不規則な縦隊が進んで来る流れに逆らつて進むわたくしは、金魚の群を突破する鯉のやうに颯爽(さっそう)とふるまつてゐる自分を意識しないでもなかつた。さうして山かげの石垣の間や田圃の小路で見出す花よりも、町で見るこれらの少女たちの顔の方がもつと楽しいものと思ひ初めるやうになつてゐた。」

大正期の新宮高女全景

町立新宮高等女学校が、和歌山市に継ぐ県下2番目の高等女学校として開校するのは、明治39年6月の事で、地元の富豪尾崎作次郎の還暦祝いの寄付が発端です。町内には、大正6年の町立商業学校が開校するまでは、なぜ女学校が先で、商業学校ではないのかという不満がくすぶり続けたと言います。春夫は3年次です。ただ中熊野地にあった第2尋常小学校校舎(第2尋常小は後の蓬莱小ですが、当初は本州製紙工場社宅付近にありました。新宮駅近くに移転するのは大正6年、校長が自宅裏山から移植した大藤棚は同校の名物になります。)を借用しての「間借り」での出発でした。新校舎が上熊野地(やがて丹鶴通りが完成し、丹鶴町になります。)に完成し、第2尋常小から移転するのは翌年の9月です。大正期の初めに新宮鉄道が開通し、町立高女の南側に少しずつ建物が建ち始めるまでは、徐福の墓を除けば、坊主山(ぼうずやま)や広角(ひろつの)の麓まで見渡す限りののどかな田園風景で、牛の泣き声なども聞こえてきたと言います。方角こそ違え、新宮中学と環境的にはほぼ変わらない田圃の中の校舎だったのです。春夫もその後、この新開地の徐福墓畔の家に住むことになり、姪の智恵子はここから女学校に通います。

 

初期の新宮高女生。袴のすそに二本の白線が入り、「ツー」などと呼ばれていた。

新宮高女生の服装は着物の袖丈(そでたけ)の規制はあったようですが、それ以外は割と自由で、袴(はかま)は白線2本入りのエビ茶色と決められていました。この白線の2本線こそが女学生のプライドであり、町の娘からも羨ましがらました。町の人たちは、「ツーライン」とか「ツー」とか呼んで、高女生の代名詞のようになりました。モス(モスリンともメスリンとも)の紫の風呂敷に教科書本を包み、弁当は赤い風呂敷包み、通学時の履物(はきもの)は、「利休下駄(りきゅうげた・日和下駄とも。木地のままの二枚歯のもの)」。まだ石ころが多い道はさぞ歩き難かったことでしょう。履物が靴になるのは大正2年の事でした。

新宮高等女学校は大正2年4月から郡立に移管、大正5年4月からは県立に移管しています。
春夫が、「かうして毎日行き交ふ間に、一週間ほどしておほよそ四五十ほどの顔をおのづと見知る事になつた。そのうちの二つほどは幾日も経たずに、二三町も前方から顔ばかりではなくすがた形を一見して見分けがつくやうになつた。」と言います。そのうちの2人、「一つは品種の悪い薔薇のやうな、一つは白百合のやうなこれら行きずりの二少女」と、春夫はやや冷ややかに形容していますが、それは第3の女性に言及するための序章であるからで、彼女たちのその後を記述する際にはフィクションを忍び込ませています。

「わんぱく時代」では、「町に、一二を争う材木問屋の豪商尾山松蔵のむすめで、色白の大柄、明眸皓歯(めいぼうこうし)にこやかに、全級がこれを美とするのは僕も同感であった。天質の美に加えて富豪の子はいつも身ぎれいに装い、もの腰上品にしつけられていた」「尾山瑞枝さん」として描かれています。また、「九つの時だつたと思ふ」として、小学生時代、腹が痛くて便所に駆け込んだ時、ドアを開けてしまい、その女の子がしゃがんでいるのを眼にして、自分の方が顔が真っ赤になった経験を記し、それ以後、その子を見るたびに顔が真っ赤になる習性になってしまったとして、「これが僕の「ヴィタ・セクスアリス」の第一章である。」とも述べています。(「回想 自伝の第一頁」大正15年「新潮」)
 

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