トルコ政府の日本人救出作戦
1. サダム・フセインによる無差別攻撃の通告
1985年3月17日、イラクのサダム・フセイン大統領は「3月19日20時30分以降、イラン上空を飛ぶすべての飛行機を撃墜する」という恐ろしい声明を発表しました。
タイムリミットまで僅か48時間ほどしかなく、イラン在留の外国人は国外脱出を図るため首都テヘランのメフラバード国際空港へ殺到しました。
2. 絶望に陥った日本人と派遣見送り
世界各国は自国民を救出するための救援機を続々と派遣しましたが、当時の日本政府は法的な制約や安全確保の問題から自衛隊機の派遣が困難でした。
また、当時の日本航空(JAL)労働組合の安全確保等の問題や法的制約もあり、民間機のチャーター救援機の派遣も見送られることになりました。定期便のチケットを取ることもできず、テヘランには約215名の日本人が逃げ場を失ったまま取り残され、絶体絶命の事態に陥りました。
3. トルコ政府の申し出と救出作戦
現地で困り果てていた在イラン日本大使館や在外邦人の窮状を知り、手を差し伸べたのがトルコ政府でした。
当時のトルコ首相(トゥルグト・オザル)らの判断により、自国の航空会社であるトルコ航空の特別機を急遽派遣することが決定しました。
タイムリミットが迫る3月19日夕刻、トルコ航空の救援機2機がテヘランの空港に到着しました。自国の国民も多数イランに残っていたにもかかわらず、トルコ側は日本人215名を優先的に搭乗させ、全員を乗せてイスタンブールへと飛び立ちました。
救援機がイラン領空を脱出し、安全な空域に入った際には、機内で大きな歓声と安堵の涙が広がったと伝えられています。なお、搭乗できなかったトルコ人たちは陸路で自国を目指すという大きな危険を冒して救援に協力してくれました。
4. 救出を決断した歴史的背景(エルトゥールル号事件)
なぜトルコが危険を冒してまで日本人を助けてくれたのか、当時の駐日トルコ大使らは「エルトゥールル号事件の恩返しである」と語っています。
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エルトゥールル号事件(1890年):
明治時代、和歌山県串本町沖でトルコ軍艦「エルトゥールル号」が台風により座礁・沈没しました。その際、地元の貧しい住民たちが不眠不休で救助・介抱にあたり、69名の乗組員の命を救いました。さらに日本政府や国民は手厚い支援を行い、日本海軍の軍艦で生存者をトルコまで送り届けました。
トルコではこの出来事が教科書等で語り継がれており、「日本人に助けられた歴史」に対する深い感謝が国民意識として残っていました。95年の時を経て、その恩返しとして行われたのが1985年の日本人救出作戦でした。
ターキッシュ・エアラインズ制作のドキュメンタリー動画です。
https://youtu.be/K2a8r0aA84g
トルコ国民と日本国民双方の心に深く友情を刻み込むこととなったこのことは、いつまでも忘れることができません。



