敬老の日によせて
読売新聞で佐藤春夫が紹介されていると友人から連絡が入った。どのような内容かとみると以下のようなものだった。
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「熊野の都新宮市 蓬莱なりとその昔 徐福もこ々に来たりとか」
これは、1951年に制定された新宮市の市歌の一節で、我が郷土の尊敬する大先輩・佐藤春夫の作詞になるもの。
読売新聞の社説・編集手帳に何故この歌の一節が紹介されたのか疑問だったが、読み進めてわかったのは、徐福のくだりに続いて思う敬老の日に因むことだった。
秦の始皇帝の命により不老不死の薬を求めてやってきたこの国で、2000年を経た今も妙薬は見つかっていない。しかし、その日本も世界有数の長寿国になった。高齢化の進展に伴い社会保障費の増大が国の財政を苦しめている。敬老の日に因み、海外にも範を示せるよう高齢者への感謝を忘れないでいたい。
古代ローマ時代の哲学者・セネカが説いている「我々が配慮しなければならぬのは、満足して生きること」
溌溂とした高齢者の姿は人生を充実させ満足して生きることの大切さを教えてくれる。
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以上が編集手帳の内容を要約したもの。
最近たまたま友人と我々高齢者の生き方について話をしていたこともあり、偶然に届いたこの知らせと重なって考えさせられた次第。
「我々の今はもう人生の消化試合」だという人もいる。筆者はそうは思っていない。ただ、時間をつぶすだけの過ごし方などまっぴらごめんだ!楽しいことはまだたくさんある。本人のその気次第で見つけられると思う。
残された時間は、最後までやりたいことをやって友人と共に楽しく過ごしたい!