近江天保の一揆~その③ 滋賀支局・田中和子
明治となり罪人の名を大赦し、相続を認めた。明治31年5月20日に「天保義民」の碑を現在の地に建立した。その文字は巖谷修氏の書である。高さ10Mの人造石でその費用は
2900円であった。
毎年10月10日にはこの碑の前で郡町村を主として、義民の追悼慰霊の例祭が催され、関係の遺族の多くが参列される。
奉納相撲も催される。
湖南市立三雲小学校の校歌には、次のように歌われている。
伝芳山(でんぽうざん)の松にふく
義民の遺風仰ぐとき
われら稚木(わかぎ)にあらたよの
おのずからなる理想あり
参考資料 布施智典著:小説透明水彩のひとたち
天保義民の碑前案内板