太地町の捕鯨の歴史⑦~鯨方の福祉制度

太地の鯨方では特別な「福祉制度」を設けていた。それは、捕獲活動で負傷した者やその家族、命を落とした者の家族を救済する制度である。また、高齢のため過激な労働ができなくなった場合には陸上での軽い作業が与えられ、生活を支えた。

元禄17年(1704)の「賃金救済法鯨漁事節遺物」に記された福祉制度の概略は以下の通りである。(「熊野太地浦捕鯨史」より)

一、賃金
捕鯨業に従事する者には、手当として羽刺や水夫・炊夫・山見・大納屋勤務者にいたるまで、毎日一人玄米一升を給する(毎日の基本給)

一、このほかに、越年、盆、三月節供、秋九月節供、玄猪、十一月十五日、煤払い、節分などに遺物として、米および金銭を各役職の等級に応じて支給する。その額は毎年一定している。

その他、クジラが捕れた際、賞与としてその肉を与える例がある。このほかに、「鯨漁事の節遺物大法」という規定があり、クジラが捕れた際には組織全員に肉の分与があり、村内の神社、仏閣などへも奉納された。それらに対しては、明細な量が規定されていた。こうした規定からは、太地の捕鯨が一資本家のものではなく、村人すべてのものであったことがうかがえる。

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