城を学ぶ㉛~馬出

枡形とは別に東日本中心に発展した虎口の形態が馬出(うまだし)である。堀に面する虎口の外側に、弧状またはコの字型に土塁や石垣を積み、出入りできる部分を残して周りに堀を穿つとできる小規模な曲輪である。これが大型化したものを馬出曲輪という。大坂城に築かれた真田丸のように、出郭(でぐるわ)、出丸(でまる)には馬出曲輪の形状をしたものがある。

馬出の語を地名、古典、文書、軍学からそれぞれ検討した八巻孝夫氏によれば、本来馬場などに馬を乗りだす口のことをいうものであったものが、出入口の意にも用いられるようになったと考えられる。そして、戦国時代末期に城の虎口前の堡塁が作られた時に、「出馬=出撃」などの連想から、この施設名として馬出の語が採用されたと推測される。さらには、中世史料では後北条氏の文書に唯一馬出の語が出てくることから、後北条氏が命名した可能性がきわめて高いと推測できるとしている。

また、城跡の遺構からも多数の馬出の分析を行い、共通項を以下の4点にまとめられている。
(1)主たる曲輪の虎口の保護のために堀を隔てた対岸におく小曲輪をいう。
(2)一般に馬出自体は堀で囲まれることが多いが、省略もある。
(3)馬出の大きさは、虎口を守るのにふさわしい程度の大きさ。
(4)主たる曲輪に従属するため、馬出の堀は、主たる曲輪の堀の大きさを越えることがない。

(出典:Wikipedia)

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