城を学ぶ㉗~虎口とは

「虎口」とは中世以降の城郭における出入り口のことで、「こぐち」には狭い道・狭い口という意味がある。「小口」とも書く。「虎口(ここう)」とよむ場合は、中世の戦場や陣地における危険な場所を意味する。

虎口は城郭、あるいは曲輪の正面開口に当たり、城内の軍勢にとっての出入口であると同時に、城攻めの際には寄せ手が肉薄する攻防の要所となるため厳重に防御される。古くは開口に木戸等の門を設け、両脇に櫓を建てて攻め手に備えるなど簡易なものであったが、戦国期に著しい発展を遂げ、城の縄張の重要要素となっていった。

西日本で「枡形」が発達し、東日本では「馬出」が発達したが、時間の経過や統一政権の出現で技術的融合がおこり、しだいに枡形は東日本にも、馬出は西日本にも広がっていった。やがて内側に枡形、外側に馬出と、両形態の虎口を二重に構え防備をより厳重にした城も現れた。

会津若松城は、馬出形状の北出丸、西出丸を外側に備え、その内側は枡形を備える二重構造となっていた。この構造は門扉が砲撃の死角となるようにできており、幕末戊辰戦争では緒戦において北出丸の追手門を突破しようとした新政府軍の阻止に成功し、長期籠城戦に持ち込んだ。(出典:Wikipedia)

虎口の類型として、平入り虎口、喰違虎口、食違虎口、枡形虎口、馬出それぞれについては次項で述べることとする。

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