「鈴木」さんの秘密!

和歌山県では14番目となっているが、日本全体で「佐藤さん」に次いで二番目に多い姓である「鈴木さん」は、東海から関東にかけて多い。そして、この鈴木さんという名字だが、そのルーツは、実は、熊野地方にあることをご存じだろうか。

平安時代、熊野三山信仰が生まれ、朝廷の厚い支持を得ていた熊野も、鎌倉時代に武士が台頭し政権を握るようになると、朝廷の力が衰えるのと共に衰退していった。そこで、熊野神社は山伏を各地に派遣して信仰を広めることに努めた。

この山伏たちが名乗っていたの共通の名字が「鈴木」なのだ。つまり、鈴木とはある特定の一人を始祖としてできた名字ではない。

熊野では、刈り取ったあとの稲を重ねたものを「すずき(すすき)」と呼び、そこは農耕の神様が降りてくるところとされていたが、そこから鈴木を名字とする一族が現れた。鈴木氏の本姓(氏)は「積み上げられた稲穂」を意味する穂積で、穂積姓鈴木氏のある一族が紀伊国藤白に移住して熊野の神々を祀る王子社の神官となった。

やがて、熊野信仰と結びつき、その広範な布教活動を通して一族も発展、鈴木という名字も広まっていった。そんななかで、もっとも栄えたのが、三河に定着した鈴木氏だったが、彼らが徳川家康に従って大挙して江戸に移住したことで、関東でも鈴木が広がることとなった。

和歌山県海南市のJR海南駅から南に少し歩いたところに藤白神社という小さな神社がある。斉明天皇が創建したと伝えられる歴史ある神社で、熊野詣でに利用される熊野古道の拠点のうち、特に重要な五体王子の一つ藤白神社の跡地でもある。

この神社から歩いて2~3分のところに鈴木屋敷跡という史跡がある。この鈴木一族の中でも総本家とされるのが、藤白神社の神官を務めた鈴木家だった。源義経の重心の一人、鈴木三郎重家もこの家の出身である。

「全国鈴木サミット」という催しが、テレビなどで何度か紹介されたことから有名となり、神社では「鈴木家お守り」などの鈴木さんグッズも売られている。

しかし、肝心の鈴木家は戦争中の昭和17年(1942)に後継ぎがいなくなって断絶したため現在は無人となっている。そのため、塀は朽ち、屋敷もかなり傷んでいる。それでも、庭には、曲水泉があるなど往時をしのばせる雰囲気は残っている。

(出典:あなたの知らない近畿地方の名字の秘密、日本人なら知っておきたい名字のいわれ・成り立ち、家紋と名字)
(八咫烏)

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