和歌山県の民話・伝説⑦徐福ものがたり

あんのう、がいな昔のことやけど。シナの国に秦の始皇帝ていう、どえらい王さんがおったんや。がいに力の強い王さんでのし、六つの国を攻め滅ぼいてしもて、

「わしがこの世の中で一番偉い王さんや」
て、そらあもう、ごっつうえらばっとったそうや。あの有名な万里の長城はなあ、あれを始めにこしらえたんも、この王さんやがい。お金は腐るほどあるし、人は誰でも自分の言う通りになる。そやけど、こがな王さんにでも、悩み事がひとつあったんや。

「わあきも年とって、いつぞは死なんならん。けど、死にとうない。死にとうない。わあきゃ、死にとうない」

王さんは、毎日毎日、そのことばっかし考えて、悩んどったんやて。ほんでも、そがなこというたて、しゃあないわのう。なんぼ王さんでも、寿命にゃ歯がたたんわ。

ところがや。ある日のこと、王さんは、家来からええ話を聞いたんやて。ええ話ていうのはのし、「ウチンコウ」ていう薬がとれる木ぃのことや。そこたりには、めったにないめずらしい木ぃやていうことやけど、その薬のかざをかいどったら、絶対に年とりゃせんし、絶対に死にゃせんのやそうや。

さぁ、王さんは喜んだ。喜んだ。手ぇたたいて喜んだ。

「こいで。わぁきゃ死にゃせん。年もとりゃせん。わぁきゃ、死なんですむ」
ていうてのし。

そいうでのう、王さんは、薬造りの仕事をさいとる家来の徐福を呼んで、
「これ徐福、ウチンコウの木ぃをさがいてまいれ。なんでも蓬莱山ていうとこに生えとるそうじゃ」
「ははっ。わかりました。きっとさがいています」
そういうて徐福は、五百隻の船に3千人の男衆や女衆、そいから金銀をぎっちり積んでのう、その木ぃを探しに出掛けたんやて。

そやけど。、あっちゃこっちゃなんぼさがいてもそがなきぃは見つからん。第一、蓬莱山ていう山かて、どこにあるかだあれも知らん。

三年経っても見つからん。そうこうしとるうちに金銀ものうなってくる、さすがの徐福も、しまいにぁ諦めて、小っそうなって王さんのところへ帰ってきたんや。
王さんは怒ったがい。ごっつう怒ったがい。

「なにい。見つからんと。そがなことあるもんかい。このとろくさいばかもんがっ」

徐福は、ますます小っそうなっとった。けど、いくら王さんが怒っても、ないもんはしゃあないわなあ。
そやもんで、王さんもやっと気ぃとりなおいて、今度は、占い師にウチンコウの木ぃがどこにあんのか、占いをさいたんや。
占い師は、なんやら訳の分からんことをぶつぶつ言うとったが、やがて、きっぱりというたと。

「王さま、その木ぃが生えとんのは、ずうっと東の方の海です。ほんまの蓬莱山は、そっちにあります」
「ほんまか。間違いないか」
王さんが、咳き込んで念をおすと、

「はっ。間違いございません」
占い師は、自信たっぷりにこたえた。それを聞いた王さんは、はよはよ徐福を呼んで、

「徐福。今度は絶対に探いてこい。木ぃが見つかるまで国へは戻ってくんな。ええか」
て、きつう命令したんやて。

徐福は、また5百隻の船に、男衆、女衆をようけ乗せて、東の海へ、東の海へ、木ぃをさがいに出かけたんや。
ほいてな、何日も何日もかかって、やっとのこと東の方にある国へ着いたんやがい。そこが、今の新宮のあたりやったてや。徐福は、ああ、ここやったら木ぃがようけある。ここがほんまの蓬莱山や。そうおもて、木ぃをさがいた。必死でさがいた。そらそうや。見つかるまで国へ帰るなっちゅう命令やからのう。

今日はこっちゃの山、明日はあっちゃの山というぐあいに、何年も何年もさがい続けたんや。そいでも、ウチンコウの木ぃは見つからずじまいやった。
そやさかいに、とうとう徐福は国へ帰るんをあきらめて、お供のもんと一緒に新宮へ住むことにしたんやて。

その時から徐福らは、自分の知っとるいろんな技術を新宮の人に教え始めたんやそうや。布の織り方や、船の造り方、そいから、魚獲んのに網を使うことやとか、クジラの獲り方までなあ。そやもんでに、太地のクジラとりが盛んになったていうことや。
新宮の人々にとったら、徐福は大事な人やったんやろのし。徐福の墓と七人の家来の墓、七塚をつくって、大事に祀ったんやと。その墓は、いまでも新宮駅の近くの小公園に残っとる。
(再話:堀口誠吾)

(八咫烏)

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