太地町の捕鯨の歴史⑥~復元された捕鯨史跡

日本で最初に鯨油を用いた燈明灯台、寛永13年(1636)に建てられた「東明崎」もまた山見の置かれた場所だった。かつて太地崎などと呼ばれたが、灯台ができて明かりが灯されるようになると「灯明崎」になり、今では、東にあるこの岬の方向から太陽が昇るので「東明崎」と呼ばれるようになった。

熊野灘の捕鯨を描いたさまざまな古式捕鯨図にこの岬や狼煙場跡が描かれている。捕鯨図を参考に、平成4年(1992)には「古式捕鯨山見台」が建てられ、太平洋を一望し、山見番の雰囲気を味わうことができる。

井原西鶴により書かれた「日本永代蔵」の「天狗は家名風車」と題する文中に、恵比寿の宮に建っていたくじらの骨の大鳥居を驚いたとあり、恵比寿神社の「くじらの骨の大鳥居」は、その話に基づいて復元されたものだ。

国道42号線太地町入り口では、実物大の大きさの親子のザトウクジラが町を訪れる人々を出迎える。これはふるさと創生事業の一環として平成3年(1991)に作られたもので、最初はアーチの上に乗っていたが、道路拡張のためアーチが撤去され道路端におかれるようになったもので、捕鯨の伝承を残す太地町を象徴するモニュメントとなっている。

(出典:歴史と文化探訪 日本人とくじら―尾張、伊勢・志摩、熊野、紀州、摂津・播磨、瀬戸内、土佐)

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