浜ノ宮王子社と補陀落山寺

JR那智駅から東へ100mほど行くと、浜ノ宮王子社(熊野三所大神社)に着く。本殿は三間社流造・檜皮葺の中世の形式を色濃く残した社殿であるが、棟札によると、建立されたのは慶安元年(1648)である。浜ノ宮王子社には、祭神として平安時代中期作の大山祇命座像・彦火々出見命座像・天照大神挫創などが奉祭されている。

神社隣にある補陀洛山寺(天台宗)は、かつえ千手堂と呼ばれ、平安時代中期の木造天部形立像、本尊である平安時代後期の木造千手観音立像や、「享禄2年(1529)銘のある銅製の華瓶、天正5年(1577)年に制作された銅製の仏商餉鉢が所蔵されている。

補陀洛山寺は、那智山への入り口であり、補陀洛渡海への出発点でもあった。現在、補陀洛山寺の裏山には補陀洛渡海を行った渡海上人たちの墓や、北条政子の供養塔と伝承される五輪塔がある。元来、渡海上人たちの墓は、那智川を渡る汐入橋に近い所にあったが、国道42号線の拡張工事によって墓石の大部分がここに移転された。

那智駅の前に、那智海水浴場がある。熊野詣の旅人の中には、観音浄土を目指して補陀洛渡海を試みた人もいたようで、この那智の浜から船出をしたといわれている。

なお、浜ノ宮の宮地区に伝わる櫂踊は、漁夫の気概がこもった男性的な踊りである。

平成10年(1998)、那智川の河口部において藤倉城跡とそれに隣接する川関遺跡が発見された。藤倉城跡は、実報院の居城跡だった。那智川を挟んで潮崎廊之坊の居城跡とされる浜ノ宮の勝山城跡に対峙する場所に位置している。また、川関遺跡は実報院を中心とした那智山社僧らの屋敷跡が展開する大規模な集落遺跡で、大量の輸入・国産陶磁器が出土している。

(八咫烏)

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