阿須賀神社

丹鶴城跡から東へ500mほど行くと蓬莱山の麓に、阿須賀神社がある。江戸時代水野家の頃は速玉大社の摂社であったが、明治時代後、「阿須賀神社」として独立して現在に至る。

蓬莱山は元来、熊野川河口にある小さな島であったようである。社殿に向かってすぐ左手の場所から、弥生時代後期の竪穴式住居2棟が発見され(阿須賀遺跡)、当時の人びとがこの付近にも住みつき、弥生時代から古墳時代にかけて一大集落を形成していたことがわかる。

阿須賀神社には、熊野三神と事解男神(ことさかおのかみ:本地仏は大威徳明王)が祀られている。「紀伊続風土記」によると、近代以前、境内には本殿のほかに、並宮、河面宮、拝殿、御供所、鐘楼堂、四脚門、鳥居、社僧行所などがあったようである。

蓬莱山経塚からは、陶製経甕破片、経筒断片、銅銭や「貞治元(1362)年」銘のある銅板金具が出土している。また、経塚遺跡に近い所から、御正体(懸仏)106体と鏡像85体が発見されているが、これらは元来、神社に奉納されたもので、平安時代末期から室町時代初期にかけて制作されたものであったことがわかる。

なお、明徳元年(1390年)に、室町幕府3代将軍足利義満が当社に奉納した国宝の古神宝類(阿須賀神社伝来)は、現在、京都国立博物館が所蔵している。

阿須賀神社では、昨年10月15日に例大祭が開かれた。その時の様子は、こぶしんの新宮風景ギャラリーで紹介している。

尚、2016年10月24日、フランス・パリで開催されたユネスコの第40回世界遺産委員会で世界遺産への追加登録が承認された。

(八咫烏)

 

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