紀州生まれの知の巨人~南方熊楠

天才か奇人かー。和歌山県が生んだ多くの逸材の中で、南方熊楠ほど評価が大きく分かれる人はいない。世界的な大博物学者、歩く百科事典、日本粘菌学の父、自然環境保護運動のパイオニアと持ち上げる人もいれば、「一風変わった在野の研究者」「常軌を逸した奇行の人」と冷やかな視線を向ける人いる。また、日本国内より海外での評価が高いのも、熊楠の特徴といっていいだろう。熊楠の粘菌研究にいち早く注目したのも外国の研究者だった。

熊楠は慶応3年(1867)、和歌山城下の金物商・南方弥兵衛の次男として生まれた。子どもの頃から驚異的な記憶力に恵まれ、十歳で「文選」を暗誦、十歳からわずか五年間で、知人宅で記憶した「和漢三才図絵」(百五巻)を帰宅後すべて書写したという神童伝説を残している。のちに上京して大学予備門(現東京大学教養学部)に入学するが退学、21歳で渡米し、さらに26歳で渡英、明治33年(1900)に34歳で帰国するまで、おもに大英博物館で考古学や人類学、宗教学などの書物を読みふけった。

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