2016-07-23 / 最終更新日時 : 2016-07-23 Tony 文化と歴史 熊野ゆかりの医家列伝~③西川義方 西川義方(1880-1968) 明治13年(1880)、和歌山市に生まれ、東京帝国大学医科大学卒業後、明治41年(1908年)、筒井八百珠の薦めにより、新宮病院の初代院長となりました。 西川義方は、新宮病院院長時代に新宮 […]
2016-07-22 / 最終更新日時 : 2016-07-22 Tony 下平用彩 熊野ゆかりの医家列伝~②下平用彩 下平用彩(1863-1923) 用彩は、文久3年(1863年)5月16日、新宮仲之町に生まれました。父秀作は医師で、水野氏に仕えました。明治維新後、廃藩置県により新宮藩が消滅、用彩の9歳のころに父とともに尾呂志村(現三重 […]
2016-07-21 / 最終更新日時 : 2016-07-21 Tony 文化と歴史 熊野ゆかりの医家列伝~①筒井八百珠 筒井八百珠(1863-1921) 文久3年(1863年)、新宮仲之町で生まれました。実は現在の新宮病院の隣にありました。 「筒井先生追懐談」によると、筒井家は新宮藩の剣道師範家で、代々300石を食み、仲之町に屋敷を構えて […]
2016-07-19 / 最終更新日時 : 2016-07-19 Tony 山本七平 新宮ゆかりの文学者たち~⑥山本七平 山本七平(1921-1991) 七平の両親は新宮市三輪崎の生まれで、七平の祖母のぶの妹いくの娘婿が玉置酉久です。酉久は大石誠之助の兄で、西村伊作の叔父にあたり、七平からは近い親戚になります。そのため大石誠之助が連座した「 […]
2016-07-18 / 最終更新日時 : 2016-07-18 Tony 文化と歴史 新宮ゆかりの文学者たち~⑤杉江俊郎 杉江俊郎(1904-1979) 本名中川俊郎。新宮町下本町在住、新宮中学を卒業後、太地小学校の代用教員を務め、のちに共立女子大学の文学部教授となり、「文炎」と「どんぐり」という二つの同人誌を主宰し、そこに小説を発表しまし […]
2016-07-17 / 最終更新日時 : 2016-07-17 Tony 岡橋宣介 新宮ゆかりの文学者たち~④岡橋宣介 岡橋宣介(1897-1979) 岡橋宣介は新宮市佐野に生まれ、長じて大阪で特許事務所を開設します。昭和8年(1933年)ごろより川柳に関心を持ち、昭和11年(1936年)には新興俳句の理念に共鳴、日野草城に師事します。俳 […]
2016-07-16 / 最終更新日時 : 2023-07-31 Tony 中上健次 現代文学の旗手~中上健次 戦後生まれで初の芥川賞受賞 1946中年(昭和21年)8月2日生まれの中上健次は、県立新宮高校を卒業するとすぐに上京します。東京オリンピックで大きく変貌を遂げた直後の東京でした。同人雑誌「文藝首都」で文学修業をし、ジャズ […]
2016-07-15 / 最終更新日時 : 2016-07-15 Tony 文化と歴史 明治期以来の学者列伝~④福田静処 福田世耕(静処)(1865-1944)は、新宮藩士中村淳一の次男として、丹鶴城下明神山麓の379番地に生まれました。母はいし、長男は行藏(後に書で有名、号は師竹)、姉はな、妹こうのの6人家族でした。後に福田家の養子になり […]
2016-07-14 / 最終更新日時 : 2016-07-14 Tony 宇都宮三郎 明治期以来の学者列伝~③宇都宮三郎 宇都宮三郎(1834-1902)は、柳河春三と同じく尾張藩浪士です。春三の推挙で、忠央が建造した西洋船「丹鶴丸」の操船を依頼されます。 丹鶴丸について「此船のことに懸ったのは未の年の2月で、3,4,5と4箇月ばかり懸って […]
2016-07-05 / 最終更新日時 : 2016-07-05 Tony 文化と歴史 明治期以来の学者列伝~②柳河春三 柳河春三(1832-1870)は、尾張名古屋に生まれ、医学を修め、また洋学にも通じていたため、安政5年(1858年)10月、水野忠央より家臣に迎えられ、洋書百巻余りを翻訳、さらに医師として仕えただけでなく、新宮藩が建てた […]
2016-07-04 / 最終更新日時 : 2016-07-04 Tony 山田常典 明治期以来の学者列伝~①山田常典 伊予国吉田藩(現在の愛媛県宇和島市)に生まれ、江戸に出て国学を修めついに大家となりました。水野忠央はその学問のすぐれていることを知り、家臣に迎え、「丹鶴叢書」の編纂の責任者としました。「丹鶴叢書」とは、古い書物のなかでも […]
2016-07-03 / 最終更新日時 : 2023-07-31 Tony 大逆事件 幸徳秋水~「大逆事件」と新宮 幸徳秋水 1908年(明治41年)、社会主義の思想家幸徳秋水が高知の中村(現四万十市)から上京の途中、新宮に大石誠之助を訪ねてきて、しばらく滞在します。その間、秋水はアメリカで学んできた、ゼネストなどについて話しています […]
2016-07-02 / 最終更新日時 : 2023-07-31 Tony TOPICS 新宮市の歴史遺構 新宮市で文化複合施設建設の掘削作業中に、国史跡級の遺構が発見されました。 このことについて、新宮市は建物建設のためには、遺構を破壊して仕方がないと考えているように思えます。 このことについて、以下のページで取り上げられて […]
2016-06-30 / 最終更新日時 : 2023-07-31 Tony 文化と歴史 与謝野寛の碑(新宮城跡) 与謝野寛は明治39年と明治42年に来新。佐藤春夫の文学的出発の契機となりました。この碑の短歌は39年の作で、春夫が建てるならこの短歌をと指定した「高く立ち 秋の熊野の海を見て 誰ぞ涙すや城の夕べに」が刻まれています。 な […]
2016-06-26 / 最終更新日時 : 2023-07-31 Tony TOPICS 梅雨の合間の出来事 6月22日 新宮高校出身の写真家・鈴木理策氏が芥川賞作家・又吉直樹さんと「芸術新潮」の取材で佐藤春夫記念館に辻本雄一館長を訪ねて来館。記念館でひと時を過ごし、その後、神倉神社へ。 6月23日には、田辺第一小学校5年生が和 […]
2016-06-25 / 最終更新日時 : 2023-07-31 Tony 文化と歴史 滞在して文化に貢献した人たち①~赤松麟作 滞在して文化に貢献した人たち①~赤松麟作 赤松麟作(1878~1953)が新宮中学に美術教諭として勤めたのは、わずかに1年余(1903年(明治36年))3月から04年(明治37年)6月)でしたが、すでに代表作としての「夜 […]
2016-06-23 / 最終更新日時 : 2023-07-31 Tony 文化と歴史 大正時代の西村サロンのことなど 大正時代の西村サロンのことなど 大正時代に入って、石井柏亭は1913年(大正2年)にも新宮を訪れ、西村伊作邸にしばらく滞在、池田港の風景を描いた名作「滞船」を描き、この年の文展(文部省美術展覧会)に入選して話題となりまし […]
2016-06-21 / 最終更新日時 : 2023-07-31 Tony 文化と歴史 馬場辰猪の在英物語 馬場辰猪の在英物語 まず、1874年(明治7年)、当時の西洋思想を留学体験から一身に学びとって帰国した馬場辰猪が新宮を訪れています。馬場辰猪は土佐藩出身で明治時代を代表する思想家になり、とくにこののち、自由民権運動が土佐 […]