日土友好の真の架け橋となった、ひとりの日本人女性
以下は、2025年5月、
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| Türk-Japon Dostluğunun Gerçek Köprüsü Olan Bir Japon Kadın: Keiko Maruishi 日土友好の真の架け橋となった、ひとりの日本人女性 丸石恵子 |
みなさん、こんにちは。アンカラ社会科学大学専任講師の浅野涼子と申します。東突先生、Ali Osman先生をはじめ、関係者のみなさま、本日はこのような素晴らしい機会をくださり、誠にありがとうございます。このような貴重なシンポジウムで発表することができて、とてもうれしいです。
最初に少し自己紹介をしたいと思います。わたしは日本語教師です。東京で生まれました。トルコで日本語教育に携わりたくて、2003年からアンカラに住んでいます。アンカラが大好きです。トルコとの関わりは実は1994年からで、トルコ警察の指紋鑑定システムの仕事をしたことがあります。
2015年から2021年まではTRT日本語デスクでトルコと日本の友好発展のために、ニュースの翻訳や作成などをしていました。トルコの公共放送から初めて日本語でニュースを発信したのはわたしです。なぜ日本語教師になったのかなどは、もしよろしければ、こちらのインタビュー動画をご覧いただけますと嬉しいです。
さて、本日は「日土友好の真の架け橋となった、ひとりの日本人女性」についてお話したいと思います。
わたしは、TRT日本語でトルコと日本の友好に関する記事を作っているときに気がつきました。そして、このことをぜひ皆に知ってもらいたいと思いました。ですが、その前にトルコと日本の友好の歴史を簡単に振り返りましょう。
| トルコと日本の友好の歴史の第一歩は、岩倉使節団がパリを訪れていた際、使節団の一等書記官だった福地源一郎が外国人裁判の調査のためにオスマン帝国を訪れたことにより踏み出されたと言われています。1887年には小松宮彰仁新王・
明治23年9月15日、横浜港を出港、帰国の途につきましたが、台風の影響で、9月16日、串本町の沖合で沈没しました。その際、串本の人々は不眠不休かつ献身的に救助活動などを行いました。助かった人々は治療を受けた後、日本の軍艦比叡と金剛で帰国の途につき、翌明治24年1月2日、無事イスタンブール到着しました。 587名が殉職、生存者わずか69名という大惨事となりましたが、これにより、トルコと日本のゆるぎない友好関係が築かれました。そのため、このできごとは日土友好元年と言うことができます。数十年後の1985年、イラン・イラク戦争でイランに取り残された日本人215名をターキッシュ エアラインズが救出しました。 ここまでの歴史については、映画「海難1890」(Wikipedia)で見ることができます。また、4月にターキッシュ エアラインズがこの歴史を辿る素晴らしい動画を公開しました。ぜひご覧ください。 |
トルコ共和国と日本との関係としては、1923年にローザンヌ条約が締結され、10月29日にトルコ共和国が建国されました。翌年の1924年、トルコと日本との間に外交関係が樹立しました。1925年には両国で大使館が開設しました。1965年にはイスタンブールに領事館が開設しました。1972年に総領事館になりました。2019年には名古屋にトルコの総領事館が開設しました。
2024年、外交関係樹立100周年を迎えました。串本で始まったトルコと日本の友好関係はこの先も永遠に続いていきます。
・・・ではありません。
実は、誰も見ていないところでトルコと日本の友好発展に大きく貢献した方がいるのです。トルコと日本の友好がこれほどまでに大きくなったのは、この方のおかげだと言っても過言ではありません。この方がいなかったら、映画「海難1890」もバシャクシェヒル松桜都市病院もなかったかもしれません。何より、今日ここでわたしたちが一緒に集うこともなかったかもしれません。
この方とは、丸石恵子さんです。今日は親しみを込めて恵子さん(←トルコの方向けに)と呼ばせていただきます。「さん」とは男性ならFalanca Bey(ファランジャ・ベイ:◯◯さん)、女性なら Filanca Hanım(フィランジャ・ハヌム:◯◯さん)のBey(ベイ)
残りわずかな時間となりましたが、今日この会場で「○○さん」を使ってみていただけたら嬉しいです。ただ、ひとつとても大切なルールがあります。それは、自分や家族の名前には「さん」をつけてはいけないということです。自分や家族の名前につけると馬鹿だと思われます。気をつけましょう(笑)
恵子さんは串本に40年在住されていた日本人女性です。串本町トルコ文化協会の設立メンバーで、2003年から2018年まで協会の代表を務められました。現在はemekli(年金暮らし)で、娘さんと一緒に東京で暮らしていらっしゃいます。野菜やお花の栽培に長けていて、ドライフラワーや編み物など手作りがお上手な方です。
トルコと日本の友好が大きく羽ばたくきっかけとなった恵子さんの「小さなふたつの思いやりの気持ち」があります。ひとつめは「慰霊碑のお掃除をはじめた」こと。もうひとつは「串本に『ちょっとチャイを飲みながら、トルコの文化を体験する場』をつくりたい」と思ったことです。
これはトルコ軍艦遭難慰霊碑です。なお、これから話の中に出てくる方の肩書きは当時のものです。ここに587名の殉職者が眠っています。事故の翌年の1891年に墓碑と慰霊碑が建立されましたが、昭和4年(1929年)
恵子さんによると、何年かに一度慰霊祭が行われてはいたものの、トルコ軍艦遭難慰霊碑は訪れる人も少なくさびしい場所だったそうです。そのことに心を痛めた恵子さんは友人や知人に声をかけ、トルコ軍艦遭難慰霊碑の掃除を始めました。今から25年ほど前のことでした。
その後、2001年には串本町トルコ文化協会が発足し、恵子さんはその後代表となりました。今では串本町が毎年9月16日に行っているエルトゥールル号の追悼式典を最初に始めたのも実は恵子さんが設立した串本町トルコ文化協会です。
串本町トルコ文化協会は2002年から、毎年9月16日になるとトルコ軍艦遭難慰霊碑の前で追悼歌と踊りを捧げてきました。この式典はその後、串本町に引き継がれ、今に至ります。串本町トルコ文化協会は現在も定期的にトルコ軍艦遭難慰霊碑を清掃しています。そのおかげで常にきれいな状態が保たれ、訪れる人の数も増えました。殉職者も安らかにお眠りになっていることと思います。
恵子さんには常日頃から串本に「『ちょっとチャイを飲みながら、トルコの文化を体験する場』をつくりたい」という思いがありました。おもてなしの気持ちです。2017年12月のこと、持ち主の好意で、串本町樫野(かしの)にあった小さくてかわいらしい建物を借りられることになりました。決まるや否や、そこを「トルコ文化交流センター」とすべく行動を開始しました。
恵子さんの熱意はトルコ共和国特命全権大使のハサン・ムラット・メルジャン大使に届き、メルジャン大使は全面応援を約束しました。「串本町トルコ文化協会・トルコ文化センター」が開設に至るまでには、駐日トルコ共和国大使館をはじめ、日本全国からトルコの国民が駆けつけ応援しました。
わたしもTRT日本語デスクとして支援しましたが、何よりもメルジャン大使と東京ジャーミイのイマーム(指導者)のムハムメド・ラシト・アラスさんの尽力により、作業は猛スピードで進みました。そして、たったの半年足らずで、その「小さくてかわいらしい建物」は「串本町トルコ文化協会・トルコ文化センター」として生まれ変わったのです。
オープニングセレモニーは、トルコの軍艦エルトゥールル号の遭難事故から128年を迎えた2018年9月16日に行われました。メルジャン大使は祝辞の中で「恵子さんがいなければ、このセンターができることはなかった」と発言し、恵子さんを讃えました。
「串本町トルコ文化協会・トルコ文化センター」には、イスラムの信者(ムスリム)のためのお祈りのスペースもあります。これは恵子さんの「串本にはイスラムの信者(ムスリム)がお祈りできる場所がなければならない」という、たっての願いから実現しました。これには東京ジャーミイのイマーム(指導者)のムハムメド・ラシト・アラスさんを中心に東京ジャーミイが協力しました。
「串本町トルコ文化協会・トルコ文化センター」の開館式(オープニングセレモニー)が行われた日、東京ジャーミイのイマーム(指導者)のムハムメド・ラシト・アラスさんの美しい声で、エザンが串本町の晴れ渡る青空に響き渡りました。
このように恵子さんの「小さなふたつの思いやりの気持ち」はこんなに大きなものとなりました。
・「慰霊碑のお掃除」
・「串本に『ちょっとチャイを飲みながら、トルコの文化を体験する場』をつくりたい」
串本町トルコ文化協会で長い間代表として活躍してきた恵子さんは、トルコと日本の友好の精神を次世代に伝えることができる後進の育成にあたるべく、2018年に代表の座を退きました。現在も協会を温かく見守り、サポートしてくれています。
トルコと日本の友好の発祥地として知られ、今ではトルコ以上にトルコの気分が味わえる町となった串本ですが、それは恵子さんのトルコに対する小さな思いやりの心から始まったと言っても過言ではありません。恵子さんがいなかったら、トルコと日本の友好関係がこれほどまでに大きく発展しなかったかもしれません。
トルコと日本の友好はこれからも発展し続けていきますが、恵子さんがしてくださったことを心に留めながら歩んでいけたらうれしいです。
最後に恵子さんからのメッセージをお伝えします。
聴いてくださって、ありがとうございました。
(※当記事の掲載については、串本町トルコ文化協会元代表・




尾鍋悦子さんから、コメントをいただきました。
「慰霊祭はずっと昔から行われているものと思っていました。丸石恵子さんの尽力で、近年盛んになったのですね。恵子さん、石垣センセとこの恵子ちゃん、なかなかできることではないと思います。熱意、誠意、行動力、リーダーシップに敬意を表します。トルコについてよく知りません。トルコ菓子がおいしいという印象。いろいろお話をうかがえることを楽しみにしています。尾鍋悦子
尾鍋さん、コメントありがとうございます。
管理者も同級生の一人として感激しています。