世界の果ての中華料理店

もう35年ほど前の話になるが、仕事でウィーンに1週間ほど出張したことがあった。わが社のウィーン支店はオペラ座からも近いビジネス街の一角にあった。一日だけ社内の打ち合わせをして翌日からは、日本から同伴している得意先の技術者と一緒に郊外のとある工場を訪問することになっていた。

ウィーン支店のオーストリア人担当者が用意してくれた車で市内から3時間ほど(随分と昔のことなので記憶が定かではないが)走っただろうか、退屈な景色をみながらようやく北部にある目的の工場に着いた。そこはもうチェコとの国境に近い場所だった。

その日は、工場長以下数名の関係者に挨拶だけして早々に予約したホテルに引き上げた。翌日から1週間毎日通う予定になっていたので時間はたっぷりある。目的は食品に有用なある原料の共同開発で、日本でトップクラスのメーカーとオーストリアのメーカーとの技術提携を実現することが私の仕事だった。

翌日からは、朝から夕方まで一日中技術的な話ばかりで、大半は研究室での実験が続いた。その間工場から外に出ることはなく、ランチも工場内の社員食堂で先方の社員と一緒にとることになった。ランチメニューの詳細は忘れたが、とにかくじゃがいもばかりだった。ヨーロッパの北の地方は米や小麦などの穀物が育たず、じゃがいもが主な作物なのでそれが主食で当然のことだった。

一日の仕事が終わってホテルに帰ると少しは違うメニューにありつけたが、それでも社員食堂のメニューとそれほど大きく違うとは思えなかった。ただ、ビールだけが格別に美味しく感じた。澱粉工場は原料の産地にあると相場が決まっており、都会にあることは少ない。世界のどこに行っても大抵はその国の首都からは程遠い田舎にある。ただ一つ違うのは、日本ではどこに行っても食事が美味しいことだ。

1週間の仕事が無事終わり、翌日はウィーン市内に戻るという最後の日の夜、工場長が食事に招待してくれた。車を降りると周りは林ばかりで小さな建物がぽつんと建っていた。聞くと、そこはまさに、チェコとの国境ということだった。プチ観光という訳で、おどけて一歩だけチェコに足を踏み入れて、記念に写真を一枚だけ取らせてもらった。

そのあと向かった先はこの辺りで唯一の中華料理店だった。こんなところで中華料理が食べられるとは思いもよらなかったので少々驚いた。こじんまりした店で、他のお客はいなかった。中国人らしい店主と思しき人が我々のテーブルに注文をとりにやって来た。東洋人の顔をした男が二人いるのを見て、店主の顔が少しほころんだように見えた。遠来の客ということで懐かしかったのかもしれない。

私がおどけて「ニイハオ!」と言うと思わず彼は驚いて、「こんなところまでご苦労さま。あなたは中国人ですか?」と北京語で聞いてきた。少しだけ北京語をやっていたので、試しに「実は、二人はシンガポールと日本からやってきました。」と答えてみたら、うまく通じて私をシンガポール人と思ったようだった。実は日本人でシンガポールに駐在しているとばらすと、長い間北京語をしゃべっていないので懐かしかったと言ってくれた。

オーストリアの公用語はドイツ語であり、殆どの住民が使っている。この中国人店主もはじめは苦労したに違いないが、今は当然ドイツ語がペラペラである。私は昔から言葉というものに人一倍興味がある。今は、青い目の外国人が日本語をしゃべっても何とも思わないが、このときは、中国人がドイツ語を話すのを聞いているのを見て、面白いというか、少し変な感じがしたものだ。

昔、「中国人は包丁一本持って世界中どんなところにも出かけて行き、行った先で見事に生き抜く力がある」という話をよく聞いた。今回まさにその一例を眼のあたりにした訳だが、まさかヨーロッパの中でもこんなド田舎にまで来なくてもと驚いたものだ。人口が過剰で、貧しい故郷では食べていけないという事情があったとしても、生きるために見知らぬ外国へ出かけて行くという中国人のバイタリティを肌で感じた瞬間だった。

帰国時、機上の人となった後も、苦労したであろうその店主の黒く皺だらけの顔が、懐かしそうに私の顔を見ていたことがしばらく頭から離れなかった。

(八咫烏)

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