新加坡回忆录(43)オーストリアで中国語

以前、「(12)北京語を習う」と題した記事で、私の中国語との出会いや興味をもつに至った経緯などを書きました。その後体験した中国語関連のエピソードについて少し書きたいと思います。

シンガポールに赴任した時、まだ一つの部署として確立されていない、つまり俗にいう”食えていない”状態だった。3年~5年と推測される駐在の間に、少なくとも1人は”食える”状態にすることが私に課せられた任務だった。赴任後しばらくして現地の日本人会の中に中国語講座があることを知った。北京出身で英国人の旦那さんをもつ中国人女性が先生だった。ひょっとして中国語を覚えることで顧客と親しくなれるのではと思った。

そこでは、毎週火曜日の午後8時から9時半まで開かれており勤め帰りに参加してみることにした。日本語はできない先生だったので英語で中国語を教えるのだ。少し慣れてきて発音を褒められたりすると嬉しくなってやる気が出てくる。1年とちょっとぐらい通ったがそのうち仕事が忙しくなり中途でやめてしまったのが心残りだ。ただ、フレイズをたくさん覚えれば何とか意味は通じるという自信が少しだけついたと思う。

その後、中国系の人と会ったときに少ししゃべってみると面白がってくれたので気をよくした。当時流行っていたカラオケでも、千昌夫の「北国の春」を中国語(榕樹下)で歌うとこれは受けた。もちろん親しくなっただけで商売ができるわけではないが同じやるなら楽しくやったほうがいいに決まっている。中国系の人が知り合いに私を紹介する時にも彼は中国語がしゃべれると紹介してくれるようになった。実は、ほんとうは大したことはないのだが話題のひとつにはなった。

駐在を終えて帰国してからは、当然ながら中国語を話す機会は激減した。駐在時期に取引した顧客が来日した時以外は、たまに居酒屋の中国人店員と話すくらいだった。会社には中国語を完璧に話す連中がいる専門の部署もあり、元々それほど必要ではなく英語で充分なので中国語はまさに趣味のようなものである。ただ、自分として少しでも話せてよかったと思えることが別の機会にあったのである。

それは、出張でオーストリアに1週間滞在したときのことである。日本人の技術者に帯同してチェコの国境に近いある工場を訪問し、そこで研究者同士の技術的な話に立ち会うことになった。ヨーロッパの北の方は土地が超えていないので米や麦ができないことが多い。そこでも豊富に穫れて安いのが「じゃがいも」でんぷんで、それを原料とする化工工場だった。

まる1週間、その工場の社員食堂でランチを取ることになったが、毎日出てくるポテト料理に飽きが来ていた。夕食はホテルに戻ってできるだけほかのメニューを選んだがポテト料理が多いことに変わりなかった。そして1週間が過ぎ、先方から、いい会談ができたと感謝の言葉があり、帰国を翌日に控えての最後のディナーはその地方では数少ない中華レストランでご馳走してくれることになった。

ちょっとした観光(?)を兼ねてチェコとの国境の警備状況を見た後でそのレストランに行った。よく言われることだが、中国人は包丁1本を持って世界中のどこにでも出かけて行きそこで生きていくことができる。まさにその言葉を地で行くような光景を目にすることになった。こんなヨーロッパの片田舎で中国人夫婦が中華料理をふるまってレストランを営んでいることを目の当たりにしてある意味で感激した。

久しぶりの美味しい中華料理に舌鼓を打ちながら食事を楽しんだ。技術者同士の話もうまくいって今後の取引も拡大する目途がついた。気持ちがふっと楽になったこともあり、私はそのレストランの主人に中国語で話しかけてみた。主人は、めったに来ないアジアからの訪問客にまず歓迎の言葉をくれた。そして、久しぶりに話す中国語に懐かしさを感じてくれたらしい。

中国のどこの出身かと聞かれたので実は日本人だというと驚いて、まさか日本人だとは思わなかったと言ってくれた。これは私にとって最大の褒め言葉であったが、実はシンガポールで覚えたというと納得した様子だった。自国から世界の隅々にまで出かけて行ってその国の言葉を覚えて生活することなど彼らにとってはきっと何でもないことなのであろう。でも私にとっては、ヨーロッパの田舎で中国人と言葉が通じたことに妙な感激を覚えた。

彼らは当然ながら普段はドイツ語をしゃべている訳で、むしろそういった適応能力と生活力に驚くばかりだ。彼らの覚悟と比較するとほんの小さなことかもしれないが、人間、何かを身に着けておくとどこでどんな形で役に立つかわからない。このことは今まであまり他人に話したことはないエピソードだが生涯忘れられない思い出である。

蓬城 新

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