新加坡回忆录(41)言葉のセンス

タレントのタモリがテレビ界にデビューしたころ、持ち芸の一つに四ヶ国語麻雀というのがあった。私はこの芸がとても好きで、マネをしたいと思ったことがある。中でも、中国語の発音、アクセントは絶妙で恐れ入りましたというしかない程見事な芸であった。タモリは言葉のセンスがあるのだ。

一見、無茶苦茶を言っているようだが、実はタモリはある法則に気づいているのだ思う。最もわかりやすい例を言うと、「高」や「考」など音読みで「こう」と発音する言葉は、「カオ」と発音していることだが、実際でもそうなのだ。本人に確かめたわけではないが、このことがわかっていてそうしていることは間違いなく、特徴をよくとらえている。そして、いわゆる「四声」に気をつかっていることもホンモノに聞こえる最大の理由であろう。

中国語と初めて接したのは、ラジオだったと思うが、確かな記憶はない。そして、どこかで聞いたとしても英語ほど興味を惹かれることはなかった。ただ、国語で習ったひらがなのない漢字ばかりの詩~漢文には興味を覚えたことは確かで、日本語にない面白さを感じた。特に音読みした時の発音で韻を踏んでいるところなどは英語の詩と同様に興味深く思った。

学生時代はぼやっとした興味しかなく、中国語に対して具体的に行動をとることはなかった。しかし、会社で輸入業務を担当し、東南アジアに出張したときに、現地の言葉がわかれば面白いのにと残念に思ったことがある。それは、東マレーシア(ボルネオ)でサゴ澱粉の買い付けをしに行ったときのことだ。

訪れた現地では、中国福建省から移民した人たちが経済圏を形成していた。ことばも中国語(福建語)が主体だ。こちらとの交渉の時は英語で話すが、現地での仕入値については福建語で話すので「いくら」と言っているのかが全くわからない。この時、この会話の内容がわかったら面白いことになるのになあと思った。

この出張時のはがゆさがきっかけで一瞬中国語をやってみようかとは思ったが、ただそれだけで本格的に学ぼうというところまではいかなかった。中国語といっても数え切れないほど方言があり福建語だけしゃべれても大した役には立たない。中国語学習者は自然と標準語である北京語(普通語)を学ぶことになる。各地方の方言をしゃべる人たちも、今は北京語を理解できるのは、日本の田舎にいっても東京言葉を理解するのと同じことだ。

その後、シンガポールに駐在が決まり、日本にいるときよりも現地人との接触の機会が増えることになる。ご存知の通り、シンガポール人の3/4は中国系の人たちである。そうなると、一緒に食事をする機会も増えたりしてより親しくなると少しくらいは現地の言葉をしゃべりたくなるものだ。価格交渉で丁々発止とやりあった後の食事会などでは気持ちもゆったりとして趣味など普段の生活の話も出るものだ。

赴任して間もなく、現地の日本人会に中国語講座があることを知った。毎週火曜日の夜、1時間半ほど北京語を教えてくれる。毎日忙しくはしていたが、週1回で夜なら何とか都合がつくだろうと参加することにした。講師は年配の女性で日本語はできず、英語での講義だったが熱心に教えてくれた。

3カ月ほどして慣れてくると発音がいいと褒めてくれて班長を任命された。これに気をよくして、というより義務感が先に立ってなるべく欠席しないように努めた。1年以上は続いたが、そのうち夜の付き合いも増えて欠席することも多くなり、とうとう諦めざるを得なくなった。結局は中途半端に終わったが、ほんの少しならしゃべれるようになった。あのクラスは今でもあるのだろうか。

蓬城 新

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