新加坡回忆录(28) 春節(旧正月)

春節(旧正月)は旧暦に基づいているため、毎年日付が変わります。1月21日から2月20日の間にある1日になります。2020年の春節は1月25日(土)です。休み期間は、法律上は1月25日~27日の3日間だけですが、一般的には、1月24日(大晦日)から1月30日(木)までの1週間で中国で最も長い連休となります。

中国系の人々にとって春節は、中国暦で最も重要なイベントです。旧正月が始まる数週間前から、チャイナタウンにはきらびやかなデザインのランタンが並び、ストリートのライトアップが正月気分を盛り上げます。

カラフルなお祝いの行列、季節の市場、賑やかな獅子舞などの様々な祝賀行事が行われ、シンガポール中でお祭り気分に浸っています。さらに、再会を喜ぶ人々の話し声や笑い声、幸運を祈願して行われるマンダリン・オレンジの交換、特別な料理を囲む食卓は、お祭り気分を盛り上げるこの時期ならではの風物詩となっています。

2020年干支-庚子年
中国の旧暦は中国の十二支に基づいています。中国の十二支には、ねずみ、牛、虎、うさぎ、龍、蛇、馬、羊、猿、鶏、犬、猪(豚)の12種類の動物がいます。それぞれの動物は12年のサイクルで循環していて、春節の旧暦1月1日から新しく始まります。今年2020年は鼠年です。

旧正月に欠かせないものとして、チャイナタウンの屋台では、赤色の装飾品を売っています。このシーズンの色と言えば、間違いなく「赤」でしょう。赤は、子どもや若い親戚に配られるお金の入った赤い封筒(いわゆるお年玉)「紅包(ホンバオ)」の色です。人々が着ている新調したての服にも明るい色合いの赤が使われています。

また、特に目に付くのは、大掃除を終えたシンガポール中の家に飾られる深紅色の装飾です。例えば、門に吊るしたランタン、出入り口に飾る春の二行連句、黄色い果実が「金」や繁栄を象徴するキンカンの木に飾る明るい色のリボンなどにも赤が使われます。

日本で、注連縄を玄関に飾るのと同じですね。子供のころ、我が家では、玄関先の大きめの注連縄だけでなく、小さな輪っかになった注連縄を、水道の蛇口にかけたり自転車のハンドルにもかけたりしていたことを思い出します。

旧正月の代表的な料理ローヘイに「ローヘイ(生魚の広東風サラダ)」があります。今でこそ、中国人もマグロなど生の魚を食べますが、昔は正月しか食べませんでした。これは、土地が広大で物流が今ほど発達していなかったことから、生ものを食べる習慣がなく、必ず焼いたり煮たりして食べるのが普通でした。

生魚(中国発音で”ション イ”)
魚は中国語の「魚」の発音「Yu」と「余る」の発音が同じということから春節には欠かせません。魚を食べることで翌年にお金と幸運が余分に舞い込むと言われています。

春節の中心となるのは、家族とのひとときです。家族や親戚が集い食卓を囲むのが定番の風景となっています。その典型が、昔からニューイヤー前夜に行われている親族同士の夕食会です。1年で最も重要な食事を愛する家族と楽しむために、人々は急いで家に帰ります(かなりの遠隔地から帰る人々もいます)。

中国の田舎から都会に出稼ぎに出ている人たちも旧正月だけは、高い運賃を払ってでも家族のもとへ帰ります。そして、親戚や友達を訪問し、新年の幸運を祈る言葉を伝えて大切な人々とのひとときを楽しみます。

(蓬城 新)

新加坡回忆录(28) 春節(旧正月)” に対して3件のコメントがあります。

  1. まるき より:

    記事に添付された赤い絵がかわいくて、センス良い。赤、黄金、で気分を引き立てて、希望に満ちた年を始めたい。一族が集っての、人々のシンプルな願いが伝わります。私も元気を出します。
    マンダリンは、フランスで目にしました。南から運ばれたものが売られていました。これぞ「みかん」と思いました。値段も安かった。ああ、ずいぶん昔のことですね。何とは言えない、たくさんのことを積み残して、終点に向かう我が身。できるだけ笑顔で行きたいです。

  2. MiyagawaNaoto より:

    まるきさん

    まるきさんがフランスで目にされたマンダリンオレンジは、オランダでもよく見かけ、懐かしくてよく買いました。少し小ぶりの「温州ミカン」にそっくり。ただ、少し感じがちがう気もしましたが、現在の「せとか」という品種に酷似していたように思います。そのミカン、しかもご丁寧に一個ずつにシールが貼ってあり、そこには「SATSUMA]と書かれていました。値段から考えておそらく売られていたのは、欧州の地中海沿岸とかどこかで栽培されたのもで、日本からのものではなさそうにも思えました。
    しかし、なぜ温州ミカンに薩摩という名前を付けたのか?そちらの方が大いに気になったことを思い出しました。おそらく幕末には幕府方である紀州藩よりも薩摩藩の方が英国との関係が深くミカンの欧州向け輸出に力を入れていたのではないか、その名残で温州ミカン=SATSUMAとなったのではないかと勝手な想像しながら食べていました。

  3. まるき より:

    コメント、興味深く拝見しました。そうでした。温州蜜柑の小さい、品種改良前(想像です)のような形。サツマの
    表示も記憶にあるように思います。私は、ポルトガル、スペインを思いました。南蛮貿易の関係で、種か苗が二国の
    植民地、拠点の港を経て、本国か北アフリカに渡ったのかと。
    マンダリンは詩にしませんでしたが、スペインの大きいオレンジのことは詩に書きました。「落日を」です。
    オランダのお話、面白く読ませていただいています。

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