小田原城
ゴールデンウィーク明けの5月中旬、小田原城を訪れることになった。小田原駅の観光案内所に立ち寄ると、地図上に赤いペンで印をつけながら効率的に見るためのルートを教えてくれた。
東口から出て1階に降り、地図を頼りに歩き始めると間もなく城を示した案内板があり、難なく目的の入り口に着くことができた。城見学のための整備が行き届いていることに感心した。
歴史概略
小田原城は、15世紀中頃に大森氏が築いた城を前進とし、北条早雲(伊勢宋瑞)に始まる小田原北条氏の本拠となって以降、関東支配の拠点として整備された。そして、豊臣秀吉との小田原合戦を前に周囲9㎞に及ぶ総構を構築し、日本最大級の城郭となった。

北条氏滅亡後は、徳川家康の家臣である大久保氏が城主となった。小田原城は、北条氏時代の姿を
継承しつつも改修が繰り返されたが、大久保氏の改易により破却されることになった。その後、稲葉氏が城主となるが、寛永10年(1633)の地震により城と城下は壊滅的な被害を受けた。そのため、稲葉氏は小田原城を大規模に改修し、小田原城は現在の姿に生まれ変わった。明治維新を迎えて、明治3年(1870)に廃城となり、建物は解体、売却された。
(※城主の変遷については別記事で解説予定)
登城ルート
登城ルートとしては、
馬出門→内冠木門→銅門→ 二の丸曲輪→ 常盤木橋→常盤木門→本丸曲輪→天守
という流れになる。
馬出門・内冠木門
正面入り口である馬出門(2009年に復元)から城に入る。土橋を渡って門をくぐると枡形虎口がある。左手にあるもうひとつの門・内冠木門をくぐると馬屋曲輪がある。そこに城内の案内所があったので行ってみると、ちょうど良い時間(10:30)にボランティアによる無料のガイドがスタートするというので参加することにした。
銅門
住吉橋を渡るとまた枡形があり、左手に本丸へと通じる銅門(1997年に復元)がある。扉の飾り金具に銅が用いられているのでその名がついたが、このように門に銅が用いられた例は少ないという。左側の石垣は江戸時代からの遺構だそうだ。
二の丸曲輪
銅門をくぐると右手に広い二の丸曲輪がある。ここにはかつて、二の丸御殿があり、江戸時代の小田原城における政治の中枢であった。
二の丸御殿と本丸御殿
江戸時代の小田原城には、二つの御殿が存在していた。
本丸御殿 → 将軍専用の宿館(御成御殿)
二の丸御殿 → 小田原藩主の居館・政庁
つまり、二の丸御殿は、藩主が公式に政務を執り、
常盤木橋(本丸の正門)
二の丸から本丸へと通じる道に常盤木橋がある。この橋の下、左右には、はなしょうぶやあじさいが植えられており、季節には大勢の客が訪れるらしい。橋を渡り切ると、右手に本丸に通じる正門・常盤木門がある。最も堅固に造られており、現在は、2階が刀剣や甲冑を展示する「SAMURAI館」としても活用されている。
天守閣常盤木門をくぐると本丸曲輪で、ここにはかつて本丸御殿があった。現在の天守閣は、江戸時代の雛型や設計図に基づき、昭和35年(1960)に外観復元されたもの。
内部展示: 1階は江戸時代、2階は戦国時代の小田原城をテーマにしており、北条五代の歴史や小田原合戦の様子を詳しく学ぶことができる。甲冑や刀剣などの資料も豊富。
摩利支天像: 最上階の5階には、かつて天守に祀られていたとされる武士の守護神・摩利支天像の安置空間が再現されている。
展望台: 標高約60mの最上階からは相模湾が一望でき、天気が良ければ房総半島まで見渡せる絶好のビュースポットとなっている。秀吉が築いた石垣山城の場所も案内にあった。さらに、上杉謙信や武田信玄が攻めてきていたあたりの場所もガイドさんから聞き、感慨深いものを感じた。
当初の予定では、城周辺の空堀や障子堀、そして石垣山一夜城も見学することにしていたが、かなわなかった。今回は小田原城のみであって、城下町全体に施した防御網は見ていない。難攻不落と言われた最大の理由は、城下町全体を約9kmにわたる堀と土塁で囲い込んだ「総構」という巨大な防御網にあり、それを見ずして小田原城を語ることはできないことは自覚している。
次の機会には必ず、最低でも、小峯御鐘ノ台大堀切などの遺構と石垣山一夜城を訪れるつもりだ。

エピソード:
1.常盤木門のSAMURAI館では、外国人観光客が甲冑などの衣装の着付け体験を楽しんでいた。
2.1971年に発売された小柳ルミ子の大ヒット曲「私の城下町」のジャケットが撮影されたのが、小田原城のこの常盤木橋の欄干だったそうだ。
最近は、どこのお城に行っても、ガイドさんがいて、とてもありがたい存在だと感じる。今回初めてガイドさんについて見学させてもらったが、ネットやパンフレットには出ていないエピソードを聞くことができてとても楽しい思いをした。ガイドの飯田さん、ありがとうございました。


