深大寺城

自宅に近い城を調べてわかったのは川崎市多摩区菅仙谷にある小沢城址と、生田緑地にある枡形城址、そしてもうひとつ、神代植物公園ん内にある深大寺城址だった。小沢城址に行った二日後、さっそく深大寺城址に行くことにした。

神代植物公園の分園である「水生植物園」の敷地内にある深大寺城は、都内でも屈指の良好な状態で遺構が残る、非常に歴史的価値の高い城跡である。2007年には国の史跡にも指定されている。この城の最大の特徴は、「戦国時代初期(16世紀前半)の姿が、のちの大名による改変を受けずにそのまま残っている」という点にある。

​1. 歴史的背景:小田原北条氏 vs 扇谷上杉氏の最前線
  深大寺城が歴史の表舞台に登場するのは、戦国時代前期の天文6年(1537年)のこと。当時、関東の覇権を握りつつあった小田原の北条氏綱に対し、旧勢力である名門・扇谷上杉氏の当主、上杉朝定は強い危機感を抱いていた。​そこで朝定は、北条方の進軍ルートを阻むための防衛拠点・最前線基地として、かつて古城があったとされるこの地に深大寺城を再興・大改修した。

「一度も戦われなかった城」
しかし、歴史の皮肉がここに起こる。北条氏綱は、この強固な深大寺城を正面から攻める愚を避け、城を完全にスルー(迂回)して上杉氏の本拠地である「河越城(川越城)」を直接急襲し、一挙に落としてしまった。
拠点を失った上杉方は退却せざるを得なくなり、深大寺城は軍事的価値を失ってそのまま廃城となった。

歴史的な価値:
北条氏に奪われなかった(=その後の北条流の高度な築城術で作り変えられなかった)ため、16世紀前半の「扇谷上杉氏流の築城技術」がタイムカプセルのようにそのまま残る全国的にも極めて希少なサンプルとなっている。

​2. 縄張りと見どころ
  深大寺城は、野川を見下ろす国分寺崖線の「舌状台地」の先端を利用して造られた、3つの郭が直線的に並ぶ「連郭式」の平山城。

​現在は第3郭の大部分が宅地化されているが、主要部である第1郭・第2郭一帯は植物園として守られ、素晴らしい遺構を拝むことができる。

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