伊勢街道巡り旅.44~関萬古
関宿が万古焼のルーツと言われていることを現地に来て初めて知った。資料を見ると、「三重県亀山市関町で生まれた 『関萬古(せきばんこ)』は、現在よく知られている四日市の萬古焼の源流のひとつとされる焼き物で、特徴は、茶器や徳利など実用品中心の庶民の焼き物で、豪華な磁器ではなく、
「萬古」とは、萬古不易(ばんこふえき)、「永遠に変わらない」という意味から取られた言葉。つまり、「いつまでも残る焼き物」という願いが込められていた。これはのちに四日市萬古にも受け継がれる名称である。
一般に萬古焼の祖は、桑名の豪商 沼波弄山(ぬなみ ろうざん)とされている。弄山は18世紀半ばに自らの茶器に「萬古」の印を押し、
なぜ関宿で焼き物が発展したのか
関宿は東海道の宿場町だった。東海道五十三次 の往来で、旅人、商人、物流が盛んだったため、陶器の販売に適した土地だった。さらに周辺で陶土が採れたため、「作る土」と「売る市場」がそろっていた。これが関萬古成立の背景である。
関萬古の特徴
関萬古は、のちの華やかな萬古焼とは少し異なる。関萬古の特徴としては、素朴な土もの、厚手で丈夫、実用品中心、茶器も生産、特に、“生活の器”としての性格が強く、庶民に使われる焼き物だった。これが後の四日市萬古で、急須、土鍋、紫泥茶器などに発展していく。
四日市萬古との関係
現在の四日市萬古焼 は、19世紀に四日市で再興されたものです。ここで重要なのは、「関萬古」から「四日市萬古」へ技術や名称が継承されたという流れです。つまり、関宿周辺で萬古系の焼き物が生まれ、沼波弄山が「萬古」の名を広め、四日市で大規模に発展する。こうして現在の萬古焼になりました。
関萬古が「萬古焼の起源」と言われる理由は、
① 関宿で早くから焼かれており、萬古系陶器の古い生産地だった。
② 「萬古」の系統として扱われ、名称の系譜がつながった。
③ 四日市萬古の前段階として、産地の歴史が連続している。
そのため、「萬古焼の発祥の一角」として関萬古が評価されています。
現在の関萬古
現在、関萬古そのものの生産はほぼ残っていません。しかし関宿では、郷土史資料館や地元の案内などでその歴史を知ることができます。つまり関萬古は、現代の萬古焼の“祖先”として歴史に残る焼き物ということになります。
まとめ
関萬古とは、江戸時代に関宿で焼かれた、萬古焼の源流となる素朴な実用陶器であり、四日市萬古焼へつながる“萬古のルーツ”です。関宿は街道の宿場町として有名ですが、実は萬古焼の歴史を語るうえでも重要な土地なのです。


