伊勢街道巡り旅.42~和菓子の老舗・深川屋は隠密だった!?

三重県亀山市、旧東海道の関宿に店を構える「深川屋」。看板商品の銘菓「関の戸」は、370年以上の歴史を誇る名品だが、その歴代店主には「服部半蔵の流れを汲む忍(隠密)だった」という非常に興味深い説がある。

​この説が単なる噂に留まらない、歴史的背景といくつかの根拠について調べてみた。

1. 創業者と「服部半蔵」の繋がり
​深川屋の初代・服部伊右衛門は、徳川家康に仕えた有名な忍者・服部半蔵正成の一族(三男の系統など諸説あり)であると伝えられている。
名字の一致: 深川屋の店主代々の姓は「服部」である。
出         自: 伊賀の忍者の家系であり、江戸時代初期に関宿で菓子屋を始めたとされている。

2. 関宿という「地理的要所」
なぜ隠密が菓子屋を営む必要があったのか、それは関宿の立地に秘密があるという。
交通の要所: 関宿は東海道、伊勢別街道、大和街道が交差する、軍事・政治上の「急所」だった。
情報集積地: 参勤交代の大名や伊勢参りの旅人が必ず通る場所であり、菓子屋として客を迎え入れることで、自然な形で諸国の動静や有力者の情報を収集することが可能だつた。

3. 「関の戸」そのものに隠された暗号説
看板商品の「関の戸」は、赤坂の小豆を使ったこしあんを求肥で包み、和三盆をまぶした上品な菓子だが、ここにも隠密の影がちらつく。

保存性と携帯性: 小ぶりで日持ちがし、エネルギー源となる甘い菓子は、忍びの「兵糧丸」の技術が転用されたという見方がある。
隠された意図: かつては菓子の包み紙や箱の細工、あるいは菓子の数や並べ方によって、江戸へ送る密書(コード)の役割を果たしていたという説も存在する。

4. 紀州藩との密接な関係
​深川屋は代々、紀州徳川家(御三家)の御用達を務めていた。紀州藩は江戸幕府にとって極めて重要なポストであり、その道中にある深川屋が御用達として出入りすることは、情報伝達のパイプ役として最適だった。
一説には、幕府直轄の隠密ではなく、紀州藩の動向を探る、あるいは紀州藩側が江戸へ情報を流すための拠点だったとも言われている。

まとめ:現在の深川屋
現在の店主(14代目)も、この「隠密説」については否定せず、むしろ歴史のロマンとして大切にされている。店内に残る古い道具や家系図、そして関宿の街並みが、かつてここが単なる菓子屋以上の役割を持っていたことを物語っている。

尚、歴史学者の磯田道史は、大和郡山城の近くにある和菓子屋・本家菊屋についても同様の見方をしており、城のすぐ近くに和菓子屋があったのは単なる偶然の一致ではなさそうである。

今度「関の戸」を召し上がる際は、江戸の夜を駆けた忍たちの情報戦に思いを馳せてみてはいかがだろうか。

豆知識:
深川屋の屋号は、もともと伊賀から移り住む前に縁があった地名などに由来するとされているが、「深い川(=情報を飲み込む、あるいは容易に渡らせない)」という隠喩が含まれていると深読みする歴史ファンも少なくない。

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