伊勢街道巡り旅41.~桑名城

桑名城は厳密に言うと伊勢街道には面しておらず、東海道の重要な宿場町にあった。ただ、伊勢街道に通じる東の玄関口として「伊勢国 一の鳥居」があり、伊勢街道を語るときにここは外せないスポットである。

桑名城は三重県桑名市に存在した平城で、伊勢湾の重要な水運拠点として栄えた歴史ある城郭であった。

歴史的背景
桑名城は、天文年間(1532-1555年)に伊藤武左衛門によって最初の城が築かれたとされている。その後、織田信長配下の滝川一益が城主となり、城を整備した。

江戸時代の発展
1601年、本多忠勝が10万石で入城し、近世城郭として大規模に改修された。忠勝は名城を築き上げ、城下町の整備も進めた。その後、松平定勝、松平定綱を経て、1635年に松平(久松)定綱が入封、以降、明治維新まで久松松平家11万石の居城として続いた。

城郭の特徴
揖斐川河口の中州に築かれた水城(海城)であり、三方を川と海に囲まれた天然の要害を持っていた。東海道の宿場町としても重要な位置にあった。「扇城」という別名でも知られている。

規模
本丸、二の丸、三の丸、外郭で構成され、天守は四層の複合連結式天守だった。

文化的価値
東海道五十三次の42番目の宿場「桑名宿」として繁栄した東海道の要衝であった。「七里の渡し」の起点として、伊勢方面への玄関口であった。歌川広重の浮世絵にも描かれている。

現在の状況
明治維新後、1871年に廃城となり、建物は解体された。現在は九華公園として整備され、石垣や堀の一部が残っている。近年、櫓の復元などの取り組みも行われている。

地域の象徴
桑名市の歴史的アイデンティティの中核となっている。城下町としての町割りは現在の市街地にも影響を与えている。

桑名城は、水運の要衝としての戦略的重要性と、東海道の宿場町としての文化的役割を併せ持った、歴史的に価値の高い城郭だった。

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