長嶋茂雄の真実
長嶋茂雄の真実
長嶋茂雄の人気はとどまるところを知らず、最近ではしばしばテレビでもエピソードが紹介されている。そんな時、大抵はそそっかしい一面ばかりである。しかし、ここでは、あまり報道されなかったちょっといい話を紹介しよう。愛すべき長嶋茂雄のほんとうの人となりをあらわす話である。
バットボーイ
昭和47年10月8日の阪神・巨人戦の試合後のこと。三塁側巨人ベンチから伸びている地下通路にひとりのバットボーイがいて、試合を終えて帰りのバスに向かおうとする長嶋に突然「長嶋さん!」と声をかけた。すると、長嶋はその学生の腹を軽くこづいて、「おっ、いたね。元気でがんばれよ。」と、笑顔を向けたのを記者は目撃した。
気になった記者は、地下通路でその学生に追いつき、わけを聞いてみた。尼崎西校2年のS君というその学生は意外なことを語り始めた。10年程前、小学校2年生だったS君は、一言しゃべるのに何分もかかるようなひどい吃音癖があった。長嶋ファンの両親が「長嶋さんのような意思の強い人にアドバイスを受けたら、きっと治る」と言い出し、S君を連れて、地図をたよりに当時上北沢にあった長島邸を訪ねたという。事情を聞いた長嶋は、身振り手振りを交えて熱心に説いた。「坊や。バッテイングのとき息をつめて構えるだろ?あの呼吸法を応用するんだ。それになにより大切なのは、もう自分はどもらないんだ、という自信だよ。」
長嶋は、その後も何度か尼崎へ手紙を出してS君を勇気づけた。それから10年。すっかり吃音癖が治ったS君は、甲子園での巨人の試合がこれで最後だというのを聞き、バットボーイのアルバイトを志願して長嶋に会えたのだった。「ボクのこと、覚えていてくれましてね。試合の前も、”よかったな”と手を握ってくれて・・・」と、S君。もし彼が打ち明けてくれなかったら、、ミスターをめぐるこのささやかな美談は誰も知らないままだったろう。長島は自分からマスコミにそういう話は絶対にしない男だからだ。
キュウさん ~グラウンドキーパー~
後楽園球場の名物男に「キュウさん」と呼ばれていたグラウンドキーパーがいた。このキュウさんは、黒ポカという土の混入具合から内野手の守備エリアの土の状態まですべてを知り尽くしていた。長嶋が巨人に入団して数年の間、キュウさんたちグラウンドキーパーの控え室は右翼ポールぎわのスタンド下にあった。ホームチームの選手たちの出口もこの控え室のそばの外野スタンド下にあった。
試合が終わってグラウンドを引き揚げるとき、長嶋はいつもここでキュウさんとグラウンド談義に花を咲かせた。素足で踏む土の感触を大事にする長嶋らしいと言えばそれまでだが、縁の下の力持ちといえるグラウンドキーパーたちを無視せず、その道のエキスパートとして対等な立場で接したのが長嶋だった。裏方さんたちを顎でこき使うのがあたかもエラくなった者の特権のように錯覚する人間の少なくないなかで、その点でも長嶋は異色だった。
キュウさんは後楽園球場が人工芝に生まれ変わる前に亡くなったが、今でも長嶋は、ときおりその当時のことを懐かしんでいる。