長嶋茂雄物語

筆者は、子どもの頃から長嶋茂雄にあこがれ、その人生をずっと追いかけてきました。かつて「ミスタープロ野球」と呼ばれ、日本中の多くのファンを熱狂させた長嶋茂雄は戦後の日本の世の中を明るくしてくれました。

全国民に愛された英雄にも秘話がいくつもありました。人間長嶋茂雄の真実の姿を爆笑エピソード、恋愛秘話、創作クイズなどで詳しく紹介します。


巨人は昭和40年から48年まで9年連続して日本一になった。いわゆるV9と呼ばれる黄金時代だが、主役となったのは、チームを率いる川上哲治監督と、王貞治、長嶋茂雄だった。しかし、さすがの巨人も昭和49年のペナントレースで中日に及ばず2位に終わり10連覇の夢は絶たれた。

長嶋の人気は巨人ファン、アンチ巨人の垣根を超えて依然として高く、「長嶋が打って、巨人が負けるのが一番」と口にするアンチ巨人ファンはたくさんいた。しかし、49年の長嶋の打撃成績は、打率2割4分4厘、順位は24位であった。

「バットマンの最大の名誉は首位打者」とする長嶋は、この時ついに現役引退を決意した。新人王、首位打者6回、本塁打王2回、打点王5回、最多安打王10回、MVP5回に輝き、現役17年間のすべてでベストナインとなった長嶋はグラウンドを去ることになった。

観客で超満員となった後楽園球場に、「4番、サード長嶋」のアナウンスが何度か高らかに響いた。長嶋は、この日2打席目に通算444本となる現役最後のホームランを放った。試合が終わると暮れ行くグラウンドに一人立って最後の挨拶をした。

「昭和33年、栄光の巨人軍に入団以来今日まで17年間・・・」で始まるあの挨拶の中の一節、「我が巨人軍は永久に不滅です」は20世紀の名言となった。

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