長嶋茂雄物語

大舞台での勝負強いバッティングと華麗な守備で多くのファンを魅了し、国民的人気を博した長嶋茂雄さんが、3日、亡くなった。89歳だった。プロ野球を国民的スポーツに押し上げた活躍で「ミスタープロ野球」と呼ばれた英雄を亡くしたのはこの上なく寂しい。

筆者は、子どもの頃から長嶋茂雄さんにあこがれ、その人生をずっと追いかけてきました。かつて「ミスタープロ野球」と呼ばれ、日本中の多くのファンを熱狂させた長嶋茂雄は戦後の日本の世の中を明るくしてくれました。

全国民に愛された英雄にはいくつもの秘話がありました。人間・長嶋茂雄の真実の姿を爆笑エピソード、恋愛秘話、創作クイズなどで詳しく紹介します。


巨人は昭和40年から48年まで9年連続して日本一になった。いわゆるV9と呼ばれる黄金時代だが、主役となったのは、チームを率いる川上哲治監督と、王貞治、長嶋茂雄だった。しかし、さすがの巨人も昭和49年のペナントレースで中日に及ばず2位に終わり10連覇の夢は絶たれた。

長嶋の人気は巨人ファン、アンチ巨人の垣根を超えて依然として高く、「長嶋が打って、巨人が負けるのが一番」と口にするアンチ巨人ファンはたくさんいた。しかし、49年の長嶋の打撃成績は、打率2割4分4厘、順位は24位であった。

「バットマンの最大の名誉は首位打者」とする長嶋は、この時ついに現役引退を決意した。新人王、首位打者6回、本塁打王2回、打点王5回、最多安打王10回、MVP5回に輝き、現役17年間のすべてでベストナインとなった長嶋はグラウンドを去ることになった。

観客で超満員となった後楽園球場に、「4番、サード長嶋」のアナウンスが何度か高らかに響いた。長嶋は、この日2打席目に通算444本となる現役最後のホームランを放った。試合が終わると暮れ行くグラウンドに一人立って最後の挨拶をした。

「昭和33年、栄光の巨人軍に入団以来今日まで17年間・・・」で始まるあの挨拶の中の一節、「我が巨人軍は永久に不滅です」は20世紀の名言となった。

長嶋茂雄物語” に対して2件のコメントがあります。

  1. 吉原和文 より:

    8日長嶋さんお別れの告別式。熊野Expressに連続の連載が開始スタートするとか!見る視聴者は歓喜の喜びです。

  2. Tony より:

    吉原さん、コメントありがとうございます。
    天下の大スターでありながら、たまたま報知新聞の番記者をしていた新宮正春さんが高校の先輩ということで身近に感じられたこと、そして先輩から聞いた抱腹絶倒のエピソードの数々で瞬く間にその魅力に取り憑かれました。ここに披露する予定の記事は過去に書いたものが殆どで、しかもファンなら既にご存知のことだと思いますが、人間・長嶋茂雄の魅力をお伝えしたいと思っています。どうぞ宜しくご期待ください。

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