十男の母② 高齢母の授業参観日  

ボクは母が39歳の時の子ども。当時では高齢出産だった。友達の母親達は20~30代で母にとっては自分の子供世代だ。授業参観では母は今でいうアラフィフ、一生懸命にお化粧していたように思う。子ども心にも「きょうのお母ちゃん、朝、仕事をしていた時と全然違うなあ」と思った。ボクのために母は頑張っていたのだ。

母は2男4女きょうだいの4女。11歳の時に父親、ほどなく母親も病死した。17歳の時、1歳年上の父に嫁いだ。長兄が父親代わりになって嫁入り支度の面倒をみたという。夫(ボクの父)も10歳時に母を亡くし身よりが7歳の弟だけだったので境遇が似ている。加えて母の嫁ぎ先には舅、継母の姑、異母弟の小舅姑がいた。二人は身寄りのない者同士だった。

近所に一人いわゆる恵まれない家庭の友達がいた。ランドセルも買えず風呂敷に包んで登校していた。修学旅行も不参加。母はその子の為に使い古しのランドセルや学生服、教科書などをきれいに再生した後、母子に渡した。修学旅行の際にはその子への土産代として、決められた小遣い上限額より別途、お金をボクに持たせた。母子は心底喜んでいた。

母は94歳で亡くなったが長兄の嫁さんが最期まで自宅で看た。認知症が始まってから次々家族の名前を忘れていったが驚くことに息を引き取るまでの嫁さん(義姉)の名前だけは忘れなかった。自分の夫でも子供でもない(表現は悪いが)赤の他人である義姉だった。

家に余裕のカネがなくても困っている他人さまの子を陰で支える。息をひきとる最期まで世話になった義姉の名前を忘れない。ひらがなもロクに書けなかった母だが「思いやり」と「ありがとう」に徹した強い女の信念があった。母の生い立ちから「薄幸」と感じるのはボクの偏見でしかないようだ。

写真=皇居勤労清掃奉仕団に参加した父と母(昭和30年代、詳細な日時は不明)

(吉原和文)

十男の母② 高齢母の授業参観日  ” に対して1件のコメントがあります。

  1. YamaneAkio より:

    今回もじんと来て、涙がにじんできました。つらかった現実をさらりと書く作者の筆力は高い。次回以降も楽しみで、ますます目が離せません。

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