笑説「ハイムのひろば」2 つかのまの安堵

2  つかの間の安堵

徹夜した翌日は、いつもなら昼過ぎまでぐっすりと眠るところだが、あいにく今日は月一度の通院日に当たっている。高血圧治療のため現役時代から通い続けている都内の病院まで投薬してもらいに行かなくてはならない。夕べの徹夜の奮闘の結果、「ハイムのひろば」の「真っ白現象」は解決したので安心して出かけることができる。

事件発生の連絡を受けて、スワ鎌倉!(真っ白な雪を連想したから”カマクラ”か?)と対処に当たり、1日かけずに解決できたことの満足感に浸りながら少し余裕ができた西野は、あとは今後の対策だなと、サーバーへ原因についての問い合わせメールを入れて自宅を後にした。

JR南武線を登戸で乗り換え小田急で新宿まで出る。さらに中央線に乗り換えてお茶の水まで行く。通いなれたルートだが、お昼の時間なので電車もさほど混んでおらず座ることができた。ふとLINEで連絡が入る。鏡孝一郎からだ。

今、図書館にいます。宮下さんから、『ひろば』が大変なことになったと聞きました。大丈夫なんですか?」

早速、事件を聞きつけたらしく、心配して連絡がきたのだ。鏡孝一郎は、西野や宮下よりも年配で、ホームページ制作チームの中で最長老だ。もう引退ですと言うのをメンバーから無理に引き留められ、仕方なく顧問的な役割を担っている。実は、鏡は、このマンション内でパソコンクラブを創った人で、今のホームページ活動もこの基礎があってこそのものだと西野は思っている。

管理組合の理事会は1年ごとに一新されるが、9年ほど前の理事会で鏡と西野は一緒に理事を務めて以来の知り合いだ。鏡は副理事長、西野は広報担当理事であった。そして、4年ほど前に、鏡から西野に対してホームページ制作に手を貸してほしいと依頼が来た。西野がホームページ作りの経験があることを知っていたので、適任だろうと思い白羽の矢が立ったのだ。

最年長の鏡は、海外生活も長くいろいろな経験の持ち主で、西野たちにとっても自分の経験以外の話を聞くのがとても楽しい。日頃は健康のため片道30分かかる市立図書館まで歩いて通い、陶芸という趣味を楽しんだり、古文書の勉強をしたりで老いて尚、学習意欲は衰えず、見習うべき大先輩だと思っている。

鏡本人も、持病の腰痛をかばいながらも、西野や宮下たち50~60歳台の若い(どこが若いねん!じいさんやないかい!)友人と付き合うことが若さを保つ秘訣だと思っている。現に、ひろばの姉妹サイトのひとつ「文芸館」には、忘れていた遠い昔の記憶を辿りながら意欲的に投稿している。こうして頭を使うことが脳の刺激になっているから元気なのだろう。

ここで、「ハイムのひろば」について改めて少し説明しておかねばなるまい。「ハイムのひろば」とは、ニュー多摩川ハイムの管理組合から委託を受けて「作り隊」が制作するホームページのことである。ただ、このホームページは通常のマンションが運営するものとは趣を異にしている。単に、管理組合から住民への連絡事項など暮らしに役立つ情報を提供するだけでなく、住民が楽しめるような、いわばエンターテイメント的な要素がふんだんに盛り込まれている。

また、スタート当初は「ハイムのひろば」の中のひとつのジャンルとして掲載されていたコンテンツが、それぞれのボリュームが大きくなるにつれてスピンアウトし、独立したホームページとして開設されていった。マンションに植えられている樹木についての情報は「緑の委員会」へ、住民の美術工芸品の紹介は「美術館」へ、旅行記やエッセイは「文芸館」へと移されそれぞれ成長していった。それに加えて、新しく、「蝶図鑑」と「クイズひろば」が増設され、その後も進化を続けている。そのすべてのサイトの管理運営を任されているのが「ハイムのひろばを作り隊」なのだ。

「ご心配をおかけしましたが、何とかなりました」と鏡の気遣いに感謝しながらLINEで返事をして、西野は電車の揺れに身を任せながら病院へと向かう。しばらくするとまたLINEが入った。今度は誰だろうとスマホを取り出した。

~つづく~

(蓬城 新)

 

 

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