ヤタガラスのお気楽闘病記24(最終回)~008サンダボール作戦

このシリーズもとうとう最終回を迎えることになった。昨年11月下旬から12月上旬にかけての2週間の入院生活を無駄にしたくなくて、毎日、頭の中で日記をつけていた。そのおぼろげな記憶をたどりつつ、読んでいて暗くならないように枝葉をつけ、お気楽闘病記と銘打って書き下ろしてきた。最後に、退院直後に感じたことを書いて終わりにしたいと思う。

 

人間、一生病気知らずで過ごせればこんないいことはないが、なかなかそうもいかない。誰しも、長い人生の中でいつかは病気になるであろうし、それがいつどんな形でやってくるかは神のみぞ知ることだ。過去2回にわたって、良い病院にかかれるか、良い医師に出会えるかについて述べてきたが、結論から言ってこれは非常に難しい問題である。

 

私は、幸運にも60歳代半ばまでは病気といえば風邪を引くくらいでほんとうに病院知らずに生きてこれていた。それが67歳になった途端、次々と病気に見舞われた。それも手術を必要とするほど比較的大きい病気であった。どこの病院に行けばよいのか見当もつかず途方に暮れていたときに手を差し伸べてくれたのは学生時代の同級生たちだった。

 

高校3年生の時に所属していたのがたまたま理科系のクラスで、今から思うと、将来の医師や薬剤師の卵が同じクラスの中にたくさんいたのだ。そして高校卒業後50年経って立派になった彼らに出会った訳である。

 

その中の一人、T薬科大学を卒業後、薬剤師として定年まで勤めあげた女性がたまたま近くに住んでいた。還暦近くの年になっても年に何回かは食事をご一緒する付き合いをしていたこともあり、何でも気楽に相談できた。実際、5年前に癌の手術をした時には、病気の発覚時から退院後の療養のしかたについてまで何かと助言をいただいた。

 

その彼女が言った言葉で今でも印象に残っているのは、「大学と名のつく病院は避けた方がよい」というものだ。私は、いくら信頼のおける友人の言葉だとしてもこれはちょっと言い過ぎではないかと思った。しかし、彼女がそういうのには理由がある。薬剤師としての長年の経験で医療業界の裏話を知り過ぎたことが彼女にそう言わせているのだ。

 

今日(1月22日)のニュースでも、あるコロナ感染者がいくつもの病院から入院治療を拒否されたという一方で、政治家の方は難なく入院したと報道されている。病床不足が声高に取り沙汰される中、トリアージの問題なのか、あるいは裏でお金が動いているのかそれはわからない。この問題をここで取り上げる気はないが、物事には必ず二面性があるものだ。

 

実は、彼女自身も大きな癌手術を体験しており、どの病院を選ぶべきかで随分と苦労があったそうだ。腫瘍ができたのが顔の一部だったことで、手術の後、顔が大きく崩れてしまう危険性があった。これは女性としてとても辛いことであろう。しかし、医療技術についても詳しい彼女は、外からメスを入れるのではなく、あごの中からメスを入れる方法があることを知っており、その手術を希望していた。

 

最初の3軒の病院(実は名のある有名な大病院ばかり)では、口を揃えて外から開いてやる手術しかできないと言われたそうだ。何カ月もかけて希望の手術を受けてもらえる病院を探した結果、とうとう、「やりましょう、安心してください」と言ってくれる病院が見つかったのだ。彼女の場合は病院を「選ぶ」ことは出来なかったが、手術も成功し顔に大きな傷をつけることもなく済んだ。

 

医科大学は医学生をたくさん抱えており、彼らを育てていかなければならない。なるべく多くの経験を積ませるべく、系列の病院の現場を中心に研修をやることになるらしい。そうやって経験を積み医師の資格を得て育っていく。患者の立場から言っても、本来はそうやって大勢の医師が立派に育っていってもらわないと困るのだ。

 

ところが、大学病院には、どうしても医師になりたてで経験の少ない若い医師が多いのも事実だ。患者にしてみれば経験豊富な医師に診てもらいたいと思うのが普通だろう。インターンに毛の生えた程度の医師では、診たてがどうなのか不安だからだ。重病でない場合はいざ知らず、そのように思うのは患者側の当然の気持ちだろう。

 

これは私自身も経験があるのだが、大学病院系では通院するたびに担当の医師が変わるということが多い(実は今も続いている)。カルテがあり患者の病状は全てそれを見ればわかるので、担当医が変わろうと問題はないというのが医師側の言い分だろう。しかし、患者側からすると、同じ先生に診てもらいたいと思うのも自然なことだ。

 

名医と言われる人は、患者のふとした表情や態度を見て何かに疑問を感じ、他の医師が見抜けなかったその病気の真の原因を突きとめるという。それは、一度や二度の診たてで分かることではなく何度も観察していて初めてできる診断である。通院の度に担当医が変わるといった話は、大学病院の他ではあまり聞かない。この辺りが、私の友人の言うことに当てはまっているのかもしれない。

 

もう一つ、大学名がついていることと直接関係はないが、大病院と患者側との間で大金が動くことが少なくないそうだ。これが大学の場合は、「寄付」と言う名の賄賂になる。病院も経営というものがある限りお金は必要で、特に最新医療提供のためには高額な医療機器の充実が最大の課題となってくる。そこで大金が動き見返りとして優先治療なのか何なのか、何かが付与されることになる。事実なら由々しき問題である。

 

さて、最後の本題に入ろう。このシリーズで療法士さんから、研修生の相手になってやってほしいと依頼された話をした。結局は、退院が少し早まったのであまり多くの時間を割くことができなったが私にとってもいい経験だった。手術現場での立ち合いなどと比較すると重要度は低いだろうが、あらゆる分野で研修が行われていることを知った。

 

この療法士さんは20歳代半ばの若い人で、まだまだ経験は浅くこれからの人だが、たまたまホームーページの話で盛り上がったことで45歳差の壁を越えていろいろな話ができた。その中で、何かの拍子に、この病院の評判の話になった。あまりいい評判ではなかったが私は忌憚なく話をした。

 

医療業界の裏事情に詳しい友人から聞いた話に加えて、私自身と家族が経験したあまり良くない話(前半に書いた話も含めて)をしたところ彼は真剣に耳を傾けてくれた。そして、部分的というよりもほとんどの部分で同意もしてくれた。ただし、一方的に悪い評判だけを強調した訳ではなく、世間一般の人がどのように考えているかに主眼を置いて話したつもりだ。

 

どの病院でも善悪二面性があるだろう。また、生まれながらの名医などなく、どんな名医でも若いときには失敗を繰り返しながらもやがて成長して立派な名医になっていくのだろう。ただ、いつどんな時でも医者である限りは人を病の苦しみから救うのが使命である。ひいては人の命を助けることの出来る仕事であることを忘れてはいけない。等々、生意気と思われることを畏れず私なりの思いのたけをぶつけるように話した。

 

そして、「私の住んでいる街に近いこの病院の評判が落ちるのは歓迎しない。評判が悪くなる原因は何なのかを常に考えて行動してほしい。そして将来、君たちが中心メンバーになった時には立派な、誰もが行きたがる病院になってほしい」と言ってこの話を絞めた。

 

若い療法士は、「こんな話を患者さんとしたのは初めてです。ありがとうございました」と言った。最後に私の方からは、「明日、私が退院できるのも、あなたたちが懸命に治療に当たってくれたお陰であることは間違いがない。お世話になりました。ありがとう」と頭を下げると少し驚いたような表情をした。

 

大変な時間のかかる、凄く遠回りの話ではあるが、深く静かに潜行した008 サンダボール作戦は終わった。(了)

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合計 24 回に亘て長い間、私の拙い文をお読みいただきありがとうございました。
「ヤタガラスのお気楽闘病記」は今回をもって終了いたします。
2 x 4 = 8 (ニシがハチ)でヤタガラス(咫烏)! 007ではなくて008

みなさん、どうぞ、健康には十分留意して元気な毎日をお過ごしください。

ヤタガラス

 

 

 

 

 

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