底に幸あり 1 ~ガラパゴスのジンベイザメ


■ガラパゴスのジンベイザメ■

鳥のように自由に空を飛びたい、魚のように自由に海の中を泳ぎまわりたいなんて、

人はどこまで貪欲なのだろう。

そんな願望を人類がいつから持っていたのか定かではないけれど、

その昔、鳥の翼で空を飛ぼうとしたイカロスのように、海への夢に命を賭けた人が

いたかもしれない。

その後もポセイドンの娘たちの誘惑に負けて、深い海の底から二度と戻らなかった

漁師や真珠取りダイバーは数え切れない。


1943年、フランス人、ジャック・イヴ・クストーとエミール・ガニアンによって、

水中で呼吸しながら自由に泳ぎまわれる画期的な装置が考案された。

それがアクアラングだ。

おかげで、今私達は文字通り魚のように海の中を泳ぎ回ることができるようになった。

私は子供の頃から海で泳ぐのが大好きだった。

でもその頃の私にとって海とはビーチを意味した。

私はいわば狭いビーチに棲息する磯の生物のようで、大海を知らなかったのだ。

スキューバダイビングを始めてから、海は水平に広いだけでなく、

垂直にも広がっているんだという当たり前のことに気がつき、ようやく回遊魚になった

という訳だ。

無謀にも私長谷由子はアンダーウォーターフォトエッセイストナレーターを自称し、

ダイビング器材とカメラを担いで世界の海に出かけるようになった。

さて、第一回目は進化の島ガラパゴスでの感動ダイビング。

写真集や雑誌の特集の影響か、ガラパゴスでのダイビングは、

ここ数年ダイバーの間で話題になっている。

一声かけると、10人も仲間が集まってしまった。

ガラパゴス諸島は赤道直下にあるのだが、フンボルト海流という寒流のせいで水温は冷たいという。

ウェットスーツは5ミリのフルスーツ、

もちろん陸上観察もしたいから帽子とトレッキングシューズも必要だ。

ダイビングツアーではいつも荷物の重さに悩まされる。

チェックインカウンターでの虚しい交渉はいつものこと、

機内持ちこみにするからとその場でスーツケースを開けて重い器材を出したこともある。



さて準備万端、私達はヒューストン経由でエクアドルの首都、キトに飛んだ。


キトはアンデス山脈の中、標高2850メートルの高地にある町で、さわやかな高原の風が吹いていた。

翌朝、私達は予想通りキトの空港でたっぷり手荷物超過料金を取られ、

ガラパゴス諸島のバルトラ島に向かった。

バルトラ島は飛行場と基地だけの島。

目の前のサンタクルス島に渡って、いよいよ私達のガラパゴス島探検が始まった。

スペイン語でカメのことをガラパゴスというのだ。

ホテルに行く途中で野生のゾウガメを見るという。ブッシュの中を歩くこと30分。

ガイドが口元に指をあてて振り向いた。耳を澄ますと、シューシューという呼吸音が聞こえる。

沼の近くに黒っぽい岩のようにうずくまっているゾウガメがいた。

甲羅の大きさは縦1,2メートル、横80センチくらいだろうか。

かなり辛抱強く待ったけれど、ゾウガメは岩のごとく動かなかった。

私たちが泊まったホテルは中心の町プエルト・アヨラにあって、海に面している。

目の前の岩場ではウミイグアナが日向ぼっこをしていた。

一本目のダイビングはスピードボートで凡そ一時間、

フロレアナ島の近く、エンダビーというポイントだった。

海の中は思ったより暗くどんよりしている。

水温の高いところと低いところが入り混じって、サーモクラインになっている。

エントリーして15分くらい経った頃、突然目の前に大きな黒い影が…

目を凝らすと白い斑点がある。えーっ、もしかしてこれが噂のジンベイ!?

16、7メートルはあろうかいう大きな巨体をくねらせてジンベイはゆっくり私の前を移動する。

私は必死になってフィンを蹴りながらジンベイと並んで泳ぎシャッターを切りつづけた。

それはほんの30秒くらいの出来事だったが、

世界最大の魚類であるジンベイザメにつかまって泳ぐ二人の姿は、

ディズニー映画の1シーンのようで幻想的だった。

ジンベイに遭遇するということは宝くじに当たるような確率なので、私は心底喜んだ。

ダイビングショップに戻りビデオを再生すると、他のスタッフ達は大騒ぎ。

さすがにジンベイにつかまって泳いだ経験のあるガイドはいない。

マカロンは一躍ヒーローになってしまった。

ガラパゴスでは生態系を守るための厳しいルールがあり、もちろん野生動物に触ることは

固く禁じられている。

ナチュラリストガイドの資格を持つオーナーは苦々しい顔だったが、

大喜びするスタッフたちを止めることは出来なかった。

その夜、マカロンを誘って町に繰り出した私達は、夜の更けるまで酒とジルバで盛り上がった。

海ではアシカ、ペンギン、イルカ、陸上では陸イグアナ、グンカンチョウ、カツオドリと、

私達のガラパゴス野生生物観察旅行はまだまだ続いたのであった。