私のふるさと~和歌山県新宮市13~名誉市民 村井正誠

新宮市では、市に対して功労のあった人、または広く社会の進展、学術文化の興隆に貢献しその功績が顕著である人(故人を含む)に対し、市民の敬愛の対象として顕彰しています。これまでに11人の方々が顕彰されています。

村井 正誠【むらい まさなり】(1905~1999)
明治38年、岐阜県大垣市に生まれ、少年期を新宮で過ごす。わが国の抽象絵画の先駆けの一人として国内外で活躍、現代美術史に大きな足跡を残した洋画家。

新宮中学校を卒業後上京し、西村伊作が創立した文化学院美術科で石井柏亭、正宗得三郎、山下新太郎らの教えを受ける。在学中、第14回二科展で《新宮風景》が入選、これに勇気づけられて渡仏。

パリでは学校や塾に入らず、美術館や画廊に通い、たびたびヨーロッパ各地を旅して古い教会や遺跡を訪ねて時を過ごしながら制作を続けた。この頃に触れたキリスト教美術や、当時パリでも最先端であったモンドリアンの幾何学抽象などの前衛美術の印象は、深く心のうちに刻まれた。

帰国後は、二科会や独立美術協会展などにも出品するが、まもなく友人たちと画廊で毎月「新時代洋画展」を開くという作品発表のスタイルをとるようになる。このグループには、山口薫、矢橋六郎など学生のころからの友人や長谷川三郎がいて、ここに瑛九や浜口陽三が加わり、のちの自由美術家協会の核となった。

昭和12年(1937)、「各人の芸術の自由なる発展と時代の芸術精神の振興とを期す」と宣言して、自由美術家協会を創立、前衛美術をめざす作家たちを大きなグループにまとめていく役割を果たした。

戦後は、自由美術家協会から離れてモダンアート協会を創立し、「前衛芸術の日本 1910-1970展」(パリ、ポンピドー・センター)など国際的にも活躍する。

現代美術史に大きな足跡を残した村井正誠は、平成11年(1999)93歳で亡くなった。

(出典:和歌山県ふるさとアーカイブ

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