私のふるさと~和歌山県新宮市12~名誉市民 西村伊作

新宮市では、市に対して功労のあった人、または広く社会の進展、学術文化の興隆に貢献しその功績が顕著である人(故人を含む)に対し、市民の敬愛の対象として顕彰しています。これまでに11人の方々が顕彰されています。

西村 伊作(にしむら いさく:1884~1963)
明治17年、新宮市に生まれる。大正10年、東京駿河台に文化学院を創設。芸術家・建築家としても活躍し多くの建築作品を手がける。

明治17年(1884)、新宮横町(現:新宮市)の大石家に生まれる。明治22年(1889)、一家で新宮を離れ愛知県に転居するが、明治24年(1891)の濃尾大地震で両親が死亡、その後新宮に帰り祖父に預けられる。明治25年(1892)、母方の実家である奈良県下北山村の西村家の養子となり、家督を相続する。

明治31年(1898)、叔父の大石誠之助の勧めで広島県の私立明道中学校に入学、卒業後は下北山村に帰郷し、科学、美術、哲学などの英語の書物を取り寄せて独力で読むなど自学自習の生活を送る。

大正10年(1921)、男女共学の自由主義的教育を目指し、教授陣に与謝野晶子、石井柏亭、寺田寅彦らを迎えて東京神田駿河台に文化学院を創設した。それまでの学校のイメージとは違い、英国のコテージ風な校舎を自ら設計している。

また、住宅をそれまでの主人とその客を最重視した客間中心から、家族を重視した居間中心の住宅(居間式住宅)に転換することを主張し、自ら建築事務所も開設している。

伊作の生き方をもっとも端的に語った書物は、『生活を芸術として』であろう。生涯をとおして、いわゆる教育者というよりも、日常の「生活」を「芸術」にまで高めようとつとめた。また、「金のためにする仕事」でなく「楽しみのためにする仕事」を、生涯の仕事とした人であった。

生活と芸術とを切り離すことなく、「生活を善くすること」「芸術や趣味への感性を磨くこと」を実践した西村伊作は、昭和38年(1963)78歳で亡くなった。

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