明治期以来の学者列伝~②柳河春三

柳河春三(1832-1870)は、尾張名古屋に生まれ、医学を修め、また洋学にも通じていたため、安政5年(1858年)10月、水野忠央より家臣に迎えられ、洋書百巻余りを翻訳、さらに医師として仕えただけでなく、新宮藩が建てた蘭学所への出勤を命じられました。

しかし、山田常典の項で記したように、忠央が新宮に蟄居を命じられたことから新宮藩を辞め、慶応元年(1865年)、幕府に仕え、開成所(現在の東京大学)教授頭取となりました。そしてこのころ、日本で最初の雑誌「西洋雑誌」(1867年)を創刊、さらに最初の新聞「中外新聞」(1868年)を発行し、後世に大きな影響を与えました。明治3年(1870年)2月、39歳で病没しました。柳河春三は、日本のジャーナリストの祖ともいわれています。

 

 

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