新宮ゆかりの文学者たち~⑥山本七平

山本七平(1921-1991)

七平の両親は新宮市三輪崎の生まれで、七平の祖母のぶの妹いくの娘婿が玉置酉久です。酉久は大石誠之助の兄で、西村伊作の叔父にあたり、七平からは近い親戚になります。そのため大石誠之助が連座した「大逆事件」は山本家に暗い影を落としています。自伝「静かなる細き声」には次のような一節があります。

「私が学校から帰った時には、トリさまはもう家にはいなかった。その夜の食卓で、トリさまの変人・奇人ぶりが話題になり、両親が話すその奇言・奇行に私たち兄妹は文字どおり笑いころげた。だが両親だけは奇妙に笑わなかった。笑いがおさまった時、父がちょっと改まった態度で「だが、新宮の教会を建てたのはトリさまなのだ。「煉瓦の雨」という小説を書いた沖野岩三郎という人がそこの牧師さんで、リョクテイが・・・」と言いかけたとき、母が「お父様・・・」と言った。

父はふっと口をづぐみ、何気ない調子でまたトリさまの奇言・奇行へと話題を転じた。(略)子供心にも、両親には何か口にできないことがあって、そこがおそらくトリさまの奇行と教会を建てたことをつなぐ点で、」それが「リョクテイ」という言葉であろうと、おぼろげながら感じてはいた。」

これは戦前のことで、「大逆事件」のことを話すことさえタブーであった時代です。「リョクテイ」とは大石誠之助の号でトリさまとは玉置酉久のことです。子供心にも「大逆事件」の不気味な感じを受けた様子がわかります。

昭和45年(1970年)、イザヤ・ベンダサン著「日本人とユダヤ人」が七平経営の山本書店より出版され、ベストセラーになります。翌年、大宅壮一ノンフィクション賞を受賞します。後に、イザヤ・ベンダサンは七平の別名であったことが明らかになります。

その後、数多くのエッセイや研究書を執筆、「山本学」といわれるほど独自の視点と切り口を見せ、昭和48年(1973年)第35回文芸春秋読者賞を受賞、平成元年(1989年)には和歌山県文化賞を受賞しました。

死の翌年、平成4年(1992年)にはPHP研究所が「山本七平賞」を創設し、平成9年(1997年)には文芸春秋社より山本七平ライブラリーと銘打った選集が刊行されました。

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新宮ゆかりの文学者たち~⑥山本七平” に対して1件のコメントがあります。

  1. まるき より:

    京都高校一年の時、親しかった級友に七平氏の親類の人がいました。二年で、青山学院高等部へ編入してて上京なさいました。私も大学で上京しましたが、ほとんど会わないままでした。知的なよい刺激を受けることができたと思いますのに、残念なことでした。今、連絡ができるようになりました。若い時は、まことに思慮浅い。大事なことに気付かないで、身近なことに受け身で流されるのでした。

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