和歌山県の民話・伝説⑨瀞のぬしさん

dorononushisanむかし、熊野の瀞八丁のほとりに、ひとりの若者が住んでおった。若者は、毎日、朝早くから釣竿をかついで川に行き、釣った魚を里に売りにいって暮らしを立てていた。

ある日のこと、いつものように釣りをしていると、美しい娘がやってきて、
「道に迷った旅のものです。どうか、ひと晩泊めてください」
と、悲しそうにいう。

娘は、瀞八丁の青い水面のように澄んだ目をしていた、その目で、見つめられるとなぜだか、若者は体中の血が熱くなるような気がした。一人暮らしの若者は、喜んで娘を家に連れて帰った。

ところが、夜が明けても娘は帰ろうとしない。若者が釣りに出かけて夕方帰ってみると、ご飯の支度をして娘が待っていた。

二日たち三日過ぎても娘は帰ろうとしなかった。若者も、そのほうが嬉しかった。若者は娘がどこの生まれで、何という名なのか知らないまま、一緒に暮らすようになった。娘が、自分の名を言わないのは、何か人に言えない訳があるのだろう。そう思って、何も聞こうとはしなかった。

こうして夫婦になった若者と娘に、楽しい日々が過ぎていった。やがて、二人の間には、こどもが生まれることになった。そんなある日、
「赤ん坊が生まれるまで、私のために、誰も来ない川べりに小屋を建ててください」
と、女は言った。

若者は、女のために、小屋を建ててやった。
「私が、赤ん坊を生んで帰ってくるまで、迎えに来ないで・・・。見られるのが恥ずかしいのです」
女は、若者に、いくども念を押すと、小屋のほうに歩いて行った。

若者は、女の帰りをじっと待っていた、
けれど、時がたつにつれて、心配になってきた。
「もしかしたら、今頃、一人で苦しんでいるのでは・・・」「ひょっとすると、体の具合でも悪くなって・・・」
そう思うと余計に不安がこみ上げてくる。

たまらなくなった若者は、ある晩、足音を忍ばせて小屋のほうに歩いて行った。そして、そっと覗いてみた。薄暗い小屋の中に、女の姿はなかった。そのかわり、小屋いっぱいにトグロを巻いた大きな蛇がいた。
蛇は、かわいらしい赤ん坊を抱くようにして、眠っていた。

若者の気配に気づいた蛇は、一瞬、ふっ!と、元の美しい女の姿になって、赤ん坊を抱いて小屋から出てきた。そして、
「この小屋に来ないでと、あれほどお約束をしましたのに・・・」
そういうと女は、ほろほろと涙をこぼした。

「実は、私は瀞の主の大蛇です。いつも釣りをなさっているあなたを見て、お嫁になりたくて、なりたくて・・・。でも、姿を見られては、もう。一緒に暮らせないのです。私の代わりにこの子をお頼み申します」

「ゆるしてくれ・・・。約束を破った私が悪かった・・・。頼むから、行かないでくれ」
若者は、赤ん坊を抱いたまま、女に追いすがった。

「私も、別れたくはないのです。けれど、もう・・・」
女は、悲しそうな顔で、若者を振り返り、吸い込まれるように青い水の中に消えていった。

女が若者に残していった赤ん坊は、かわいい女の子だった。若者は、赤ん坊を抱いて、川べりに立って、女を呼んだ。けれど、その声も、青く静まり返った瀞八丁の水面に、むなしく響くだけであった。

ーーそれからのち、小舟に赤ん坊を乗せて、さまようように漕いで行く若者の姿を、よく見かけたという。村の人たちは、小舟の親娘と、青い水の底に消えていった女の蛇を哀れに思って歌った。

川のぬしさん 八丁の長さ
かわいいぬしさん 船のなか

(八咫烏)

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