新宮ゆかりの文学者たち~③下村悦夫生誕の地

下村悦夫生誕の地(新宮市池田1丁目付近)【地図】

下村悦夫(本名悦雄1894-1945)は、大正・昭和にかけて活躍した時代小説家。代表作「悲願千人斬」などがある。歌集に「口笛」「熊野うた」がある。

下村悦夫は明治27年(1894年)2月26日、下村喜和男・きくの長男として池田町に生まれました。悦夫は明治40年(1907年)ごろの高等小学校時代より短歌を作りはじめ、明治41年(1908年)高等小学校卒業後、新宮銀行の給仕に採用された後も、文学好きはますます昂じて詩歌集などを愛読し、佐藤春夫らとともに「はまゆふ」などにも短歌投稿、2年で銀行を辞めて上京し、本格的に文学を志します。

明治43年(1910年)3月27日、三輪崎から短歌の詩である和貝夕潮とともに汽船に乗って上京しました。東京では夕潮と一緒に与謝野寬・晶子夫妻のもとにいましたが、実家から帰郷をたびたび促されたため、一時新宮へ帰りました。

大正4年(1915年)、に結婚、大正6年(1917年)に生活の資を得るために「紀潮雀」名で講談小説を書きはじめ、昭和2年(1927年)に「下村悦夫」名で発表した大衆小説「悲願千人斬」が大ヒットして流行作家の仲間入りをします。以後、続々と雑誌や新聞に時代小説を書き、作品も映画化されるなど絶頂期を迎えますが、このころから小説の面白さがなくなっていったといわれ、仕事の依頼も少なくなってきました。

晩年は、戦争が激しくなったこともあり、執筆はまったくできなくなり、奥さんの実家がある木本(現熊野市)に疎開します。昭和20年(1945年)12月12日、疎開先の木本で亡くなりました。享年52歳でした。

(出典:熊野・新宮「ふるさとの文化を彩った人たち」)

西  敏

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