佐藤春夫と谷中安規
佐藤春夫の小説に『環境』というのがあります。1943(昭和43)年5月刊行のこの本の表紙カバーを外すと、表に桃の画(方哉[まさや]の誕生を祝して春夫が描いたもの)が描かれ、裏表紙に記されているのが、「方哉は日本一のせがれなり」という文字が記されています。巻頭に「この書は/書中に生き且つ没せる/我が父母と愛弟との霊に捧げて/その冥福と併せて/方哉に冥加を賜らん事を祈る/春夫」とあります。(初出は前年の「少女の友」に7回連載)
春夫の有名な恋愛詩「秋刀魚の歌」が発表されて、ほぼ10年、さまざまな紆余曲折を経て、春夫は谷崎潤一郎の先妻千代と結婚します。そうして、1932(昭和7)年10月27日に生まれたのが、方哉でした。夫妻は一粒種の方哉に、限りない愛情を注ぎます。方哉は、両親の期待を一身に背負い、慶應義塾大学に学び、心理学の道に進みます。
その最も大きな功績は、わが国の心理学に行動分析学を本格的に導入し、多くの研究者を育てるとともに、その普及と発展に努めたことです。学習と行動という心理学の基礎分野で常にわが国の研究をリードし、新しい研究姿勢として、未来を見越した「共生科学」という概念を打ち立てようとしました。
また方哉は、父春夫譲りの芸術的感性も発揮して、句集や詩集、あるいはウィットあふれるクイズや回文などにも挑戦、作曲も手がけています。
さて、「環境」には、谷中安規の挿絵も数点掲載され、谷中の方哉宛書簡も引用されています。口絵の日時計図は、いま、本記念館の庭に置かれている石造のものがモデルになっています。谷中は「生きた幽霊」の名で登場します。谷中の方哉宛書簡の原本を展示するとともに、「環境」に掲載されていない谷中の方哉宛書簡も初公開します。
また、「環境」に掲載されている作家富沢有為男の方哉宛書簡の原本も展示しています。また、「環境」の表紙絵は、春夫が描いた「桃の画」になっていますが、この「百合の画」にしようか迷ったようですが、その「百合の画」も今回谷中安規の遺品の中から見つかり、展示しています。
※富沢有為男(1902-1970)作家
大分市生まれ、東京美術学校西洋画科中退、岡田三郎助に師事、帝展にしばしば入選。のち小説に転じ佐藤春夫に入門、4年間の渡仏後、昭和11年「地中海」を発表して芥川賞を受賞。