館長のつぶやき~佐藤春夫の少年時代(7)

・父親の系譜―「懸泉堂(けんせんどう)」(3)

「砧」に描かれているのは、幕末に起こった世直しのための蜂起、天災や飢饉で困窮する庶民を見るに見かねて起こした大坂奉行与力であった大塩平八郎の乱、その余波が熊野に居る椿山の身をも巻き込んだのです。椿山の教え子で親族関係にもあった湯川麑洞(げいどう・新、浴、幹、民太郎、君風、清斎などと名乗っています)は、伊勢に遊学中、大塩平八郎(号中斎)に見込まれ、大坂の中斎の塾・洗心洞で学び、まもなく塾頭に抜擢されています。大塩が「洗心洞箚記(せんしんどうさっき)」上下2巻を上梓する時、入門1年足らずの麑洞にその跋文を書かせているほどです。しかしながら、大塩らの挙兵を察した麑洞と、同じように学んでいた弟周平(しゅうへい・号は樗斎・ちょさい)とは、蜂起の事前に父親の病気にかこつけて塾から脱走するのです。脱走した友人の彦根藩の宇津木共甫(うつききょうほ)は仲間に斬り殺されています。まさに危機一髪の脱出で、麑洞兄弟は堺の宿で火の手の上がる大坂を眺めています。その後の大塩の乱の残党狩りは厳しいものがあったようです。麑洞兄弟も在所の下里で逮捕され、和歌山に送られてゆきます。この時椿山も、「お上」から相当に絞られ、骨身に堪(こた)えたようです。春夫が父から聞き出したこととして、「砧」には描かれています。結局、麑洞兄弟は無罪放免となります。向学心旺盛な麑洞はその後、江戸に出て幕府の学問所昌平黌(しょうへいこう)でも研鑽を重ねてゆくのです。

「砧」が収録されている大正15年4月改造社刊行の「まどひらく」の箱

「砧」と言う作品が重要な問題をはらんでいるのは、椿山親子に与えた、お上に楯突いた大塩の乱のトラウマが、豊太郎親子における知人の医師大石誠之助を刑死に追いやった「大逆事件」のトラウマと重ねて深読みできる点です。「砧」には、「大逆事件」に関する言及はただの一言もないのですが。そうしてそれは、つまり「大逆事件」は「大塩の乱」から63年後のことだったのです、世代間で忘却の彼方に追いやられるには、まだまだ早すぎる期間だったと言えます。
鏡村の急死に伴い、椿山の落ち込みようは目に余るものがありましたが、鏡村の妹百枝に天満の宮本家から駿吉を婿養子に迎え、鞠峯(きくほう)と号して懸泉堂を継がせます。温厚な性格で教養も積み、豊太郎にも素読を教え、地域の信頼も繋ぎました。
佐藤春夫夫妻や弟秋雄、さらには両親が眠る下里の墓地には、春夫の祖父鏡村(惟貞)の墓石もあり、若死にした鏡村の業績をたたえる湯川麑洞の賛辞が三方の側面にぎっしりと刻み込まれています。「懐旧」(活版本)の「石碑」の項には、碑文の全文(漢文・なお昭和13年刊の「下里町誌」には読み下し文が記載)が記されています。大塩の乱後であろう、麑洞が故郷で蟄居し清貧に甘んじている間、20歳ほど年下の鏡村は、麑洞の学問を学びながら身の回りの世話をしていたと言うことです。鏡村の夭折を惜しむとともに、生まれた男児(豊太郎)がまるで似姿の如く、将来への期待も叙せられています。
湯川麑洞には嘉永年間に記された「懸泉堂記」という全文漢文の文もあって(「下里町誌」には読み下し文)、懸泉堂の地勢を述べ水の重要性を指摘、そこで育まれた椿山の徳も称えられています。墓碑銘と言い、この懸泉堂記と言い、先師椿山からの依頼に麑洞が応えたものでしょう。
麑洞の学識を見込んだ領主水野忠央(ただなか)は、洋学の柳河春三(やながわしゅんさん)、国学の山田常典、漢学の湯川麑洞を召し抱えます。麑洞には藩校の督学(学長)をも命じています。その後忠央が新宮に蟄居を命じられると、常典、麑洞ともに新宮入りしています。明治の世となって、学制が頒布され新宮小学校が開校されると、麑洞は教授に任ぜられ、名誉校長として県下では最高の35円の俸給で遇せられたと言います。教授手伝いとして真砂長七郎(まなごちょうしちろう)、その後地方の教育界を担う山田正、松田魁一郎(まつだかいいちろう)も麑洞に学び、漢詩人、俳人として名を成す福田静処(せいしょ・把栗・はりつ)も幼少の頃学んでいます。麑洞は明治7年60歳で病没します。
椿山は明治3年4月10日、71歳で逝去しました。ちょうど生誕の日と同じでした。64歳で息子鏡村を亡くし、「一時は狂気したかとまで思はれた」(「懐旧」)と言います。
明治5年太陰暦が廃止され太陽暦が採用になりました。11月3日が新しい年の幕開けとなり、早い正月の到来で、11歳の豊太郎は喜びのあまり友達に触れ回ったと言うことです(「懐旧」)。
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この度、佐藤春夫記念館館長・辻本先生の「館長のつぶやき」を熊エプに転載させていただくことになりました。普段から記念館ホームページをご覧の方にはお馴染みの記事ですが、そうでない方や見逃した方のためにここで、紹介させていただきます。どうぞ、宜しくお願いいたします。
(熊エプ編集長・西 敏)

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