西行法師の歌碑(七越の峰)
熊野本宮大社から新宮方面へ国道168号線を進み、最初の熊野川を渡る橋「備崎(そなえざき)橋」を渡って、対岸へ。
熊野本宮大社旧社地・大斎原(おおゆのはら)の東、熊野川対岸に、本宮町名勝八景のひとつ七越の峰があります。
標高262m。大峰山より数えて七つめの峰にあたるといわれ、そこから七越の峰と呼ばれるようになったと伝えられています。
七越の峯は桜の名所でもあり、山頂には、平安末期の歌僧・西行法師の歌碑が建てられています。
西行(さいぎょう)
元永元年(1118年)- 文治6年2月16日(1190年3月31日)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武士・僧侶・歌人。以下に紹介する歌は、いずれも西行法師の個人歌集「山家集」に収められています。「熊野詣での歌碑めぐり」より抜粋しました。
西行法師の歌(本宮町七越峯)
「たちのぼる 月のあたりに雲消えて 光重ぬる七越の峯」
西行法師の歌(熊野川町小口)
「雲取りや しこの山路はさておきて をくちかはらのさびしからぬか」
小口にはまた機会があれば行ってきます。
こぶしん
西行と言えば、「鼓が滝」という好きな落語がありますが、ご存知でしょうか?
百人一首に「嘆けとて 月夜はものを思はする かこち顔なるわが涙かな」という西行の歌が残っていますが、元々は。本名を佐藤兵衛尉義清といい北面の武士でした。また、有名なのが、「西行桜」という能がある通り、非常に桜が好きで「願わくば 花の下にて春死なん その如月の望月のころ」という歌を残しています。
ところが、なぜか二十三歳の時に世の無常を感じて出家をします。その後、各地を転々としていろんなところにエピソードが残っています。古典落語として語り継がれている中で、好きなのが「西行鼓が滝」(単に「西行」とも「鼓が滝」ともいう)です。これは是非記事で紹介したいと思います。