紀の川上流から用水を引いた~大畑才蔵

tatsunotoi大畑才蔵は、伊都郡学文路村(橋本市)の庄屋の家に生まれ、18歳のときに大庄屋の補佐役になりました。1696年、才蔵は、紀ノ川上流から取水して水の便の悪い打田村(紀の川市)から西の台地に藤崎井と小田井の2本の用水を引いて大規模な新田開発を行う計画を立てました。

藤崎井は、1696年から功字を始め、約1年後に約24㎞が完成、小田井は1707年から工事を始め、才蔵の死後約30㎞が完成しました。才蔵は、工事にあたり、「水盛器」を考案して測量の精度を高めたり、川を越える水路橋を築くなど、さまざまな技術を用いました。

ほかにも、紀ノ川下流に六箇井を開き、亀の川を改修して上流に亀池を造るなど各地の水利に尽くしました。小田井をはじめとする用水は、現在も農業用水として利用されて人々の役にたっています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です