新宮ゆかりの文学者たち~④岡橋宣介

岡橋宣介(1897-1979)

岡橋宣介は新宮市佐野に生まれ、長じて大阪で特許事務所を開設します。昭和8年(1933年)ごろより川柳に関心を持ち、昭和11年(1936年)には新興俳句の理念に共鳴、日野草城に師事します。俳句はもっぱら「旗艦」に投句しています。昭和12年(1937年)には「旗艦」編集同人となりますが、戦争が激化するとともに当局からの指示で、「旗艦」「瑠璃」「原始林」の三誌を統合し「琥珀」を創刊します。

昭和20年(1945年)、敗戦とともに旧「旗艦」同人らとともに「太陽系」(のちに「火山系」と改名)を創刊、同人として参加します。昭和25年(1950年)「火山系」廃刊とともに俳句活動をやめ、昭和24年(1949年)に自ら創刊した川柳誌「せんば」(せんば川柳社)一筋で活動をします。昭和54年(1979年)8月19日、享年82歳で亡くなります。

その理念は「文学の鑕に載せて、現代意識の槌を加え、近代詩想の締木にかけると、封建の酸化銹膜がばらりと剥げ落ち、諧謔というくすぐったい音をたてて、ぼろぼろのうがちの屑と、薄っぺらな風刺の滓糟が飛び出して、五七五の革袋だけが白日の下に残る」(「せんば」創刊三周年記念「句集詠ふ人々」の岡橋宣介の巻頭言より)とあるように、川柳精神を現代感覚をもってつかみとろうとする、文芸性を重視した立場をとっています。

宣介の作品を「岡橋宣介作品集 熊野」より紹介します。

大空を とぶ足の毛に かぜのおと

げらげらと 笑へば少し 涼しくなる

ほろほろと さくら散るなり 死ねぬなり

くちづけや 鷗は虹を 超えてゆけり

剪られたる 花わんわんと 泣く白日

診察券を 裏返すと 墓場のある風景

なお「熊野」は、新潮社で刊行された「短歌俳句川柳101年」(夏石番矢選)のうち、1979年の川柳部門に選ばれています。

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