熊野ゆかりの医家列伝~③西川義方

西川義方(1880-1968)

明治13年(1880)、和歌山市に生まれ、東京帝国大学医科大学卒業後、明治41年(1908年)、筒井八百珠の薦めにより、新宮病院の初代院長となりました。

西川義方は、新宮病院院長時代に新宮市船町の尾崎作次郎の娘やすと結婚します。その令嬢のことを歌ったのではないかと思われる短歌を浜畑栄造著「熊野よいとこ」から紹介します。西川は歌人として「明星」などにも歌が載っています。

さわらびは はや萌えぬラム紀の国の 成川わたりをみなさやぐや

挽材の 鋸屑道の やはらかき 熊野の海の 春の長閑けさ

熊野川 若鮎さ走る 早き瀬に 妹とし立たば 何か思はむ

また、この地方の特色を歌った短歌もあります。

島めぐる 九艘の競ひ 櫓の響き 神世覚ゆる 人のどよめき

紀の国の 熊野にしては 三輪が埼 夕日に匂ふ 孔島鈴島

我つけば 峰より尾より 妙法の 一つの鐘は 鳴り渡るなれ

大正3年(1914年)に新宮病院長を辞職、上京して研究生活に戻ります。大正7年(1918年)、日本医学専門学校(現日本医科大学)教授となり、翌年宮内省から大正天皇の侍医に迎えられました。皇室の信任が厚く、昭和に入ってからは、貞明皇太后に仕え、昭和24年(1949年)退官しました。昭和43年(1968年)8月27日没。

ドイツ文学者の池内紀に「二列目の人生 隠れた異才たち」という本があって、一番を選ばない生き方として16名の人物が取り上げられていますが、その中の一人が西川義方です。

 

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