中上健次生誕の地
中上健次生誕の地:春日町界隈(春日4~10)【地図】
日本の現代文学の旗手であった中上健次(1946~1992)が生まれ、そして多くの小説の舞台となった路地跡。代表作「枯木灘 (河出文庫)」「千年の愉楽」「奇蹟」などはここを舞台に描かれており、中上健次案内板もあります。
1946年(昭和21年)8月2日生まれの中上は、県立新宮高校を卒業するとすぐに上京します。東京オリンピックで大きく変貌を遂げた直後の東京で、同人雑誌「文藝首都」で文学修業をし、ジャズにも堪能する日々を送ったそうですが、その後の活動の養分はここで培われました。そのころ、のちに芸術や芸能など、さまざまな分野で才能を開花させる人たちが東京・新宿に集まり、切磋琢磨していました。ビートたけし(北野武)もそういう一人として中上の知り合いだったそうです。
29歳のとき、戦後生まれとして初めて「岬」で芥川賞を受賞した中上は、「枯木灘 (河出文庫 102A)」「地の果て 至上の時 (講談社文芸文庫)」という長編を次々に書き上げ、たちまち新文学の旗手として広く認められてゆきます。
1988年(昭和63年)、テレビドキュメンタリー「ライターズ・オン・ザ・ボーダー」の撮影が、東京や熊野で行われています。世界の作家5人のうちの一人に中上が選ばれ、翌年ヨーロッパ各国で放映されました。
中上健次の文学が「新宮のことを書きながら、世界文学だった」という評価が生まれてきます。ギ・ソルマンという人が「二十世紀を動かした思想家たち (新潮選書)
」という本を書いていますが、そこで選ばれている二人の日本人は、生物学者で遺伝学が専門の木村資生と中上健次です。
後年、中上は、高校時代の同級生たちと、熊野復興を掲げて「熊野大学」を立ち上げています。「建物もなく、入学試験もなく、卒業は死ぬとき」を合言葉に発足した自主講座には、多くの作家や芸術家が参加しています。引退していた歌手の都はるみが復活したのも、本宮の大斎原での公演がきっかけでした。
残念ながら、中上は最初の「卒業者」になりましたが、熊野大学は中上の遺志を継ぐ人々によって、いまでも毎夏新宮市高田のグリーンランドを中心に開かれています。
(出典:「熊野・新宮発 ふるさとの文化を彩った人たち」)
ビートたけしと新宮。
新宮にはビートたけしの いとこの方が住んでいました。
とてもきっぷのいい明朗な気性の人で、私も大変お世話になりました。
そのようなことから中上健次とも交流があったのかもわかりませんね。